1月2日(水)まあまあ晴れ

のぞみで名古屋から帰京。
♯車中にて馳星周『約束の地で』(集英社)読了。
北海道を舞台に5篇の登場人物らがゆるやかにつながる連作短篇集になっている。帯にある本人の言によると、〈ヘミングウェイのように書いてみたい、そう思ったのだ。ヘミングウェイのような、ではない。わたしはヘミングウェイではないし、目指すところも違う。それでも、なぜか、そう思ってしまったのだ〉とのことだが、この文章を目にせずに本書を読んで「ヘミングウェイのようだ」と思う読者はいないだろう。でも、そんなことは別にどうでもいい。それより、ケモノバカ一代として問題だと思うのは、「みゃあ、みゃあ、みゃあ」という1篇における猫の扱い方なのである。
わたしが常々願っているのは、小説世界内で当の動物がちゃんと生きて死んでほしい―― たとえば沼田まほかるの『猫鳴り』(双葉社)のように――ということで、動物を登場人物の心情や置かれている状況をうつす鏡のように扱う、つまり道具として扱う小説が認められないのだ。しかるに、馳さんは「みゃあ、みゃあ、みゃあ」で猫をまさにそのように生み、そして殺している。小説世界における動物虐待告発委員としてはレッドカードを出さざるをえますまい。
その点、世界の終わりを夢みる不登校少年の物語「世界の終わり」に出てくるジャック・ラッセル・テリアは小説世界内で道具としてではなく、一個の生きものとして走り、吠え、主人公少年を支えている。こうでなくちゃ。動物のことにばかり拘泥してしまったが、小説としてもこの1篇は素晴らしいと思う。

約束の地で

約束の地で

猫鳴り

猫鳴り