『日本の10大新宗教』(島田裕巳/幻冬舎新書)

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

新宗教」のこと知ったからといって1円にもならん。オレはオカルトも好きじゃないし、エハラだとかオーラだとか聞くと、じんましんが出そうになるほうだ。
 ではなんで、この本はおもしろいのか。


 まず「そういえば聞いたことはあったけど、よく知らなかったよ」というあたりの興味が満たされておもしろい。
 意外に日常で「新宗教」に関連するものを目にする機会は多い。でも、目に入っても、いつもはスルーしてる。ジョギングコースの近くに「崇教真光」ってあるなー、新宗教だよなー。そこどまり。それが、ちゃんと解説されてて「今まで気づいてなかったことに、気がつきました」という感じが新鮮。
 新宗教というと「あやしい」というイメージもあるが、著者はすこし離れた立ち位置から、あまり批判的にもならず、かといって肩入れもせずに淡々と、教団の歴史・教祖の姿・現代への適応を描いていく。百科事典的というか、事実重視というか、研究者らしい落ち着いた筆致で読みやすい。


 次に、物語的なおもしろさ。全体とおして「新宗教異人列伝」という印象も。自分で宗教を創立しちゃうような人は、やはり変わった人、変な人が多いわけだし、エピソードにも事欠かない。「聖人君子」というと「おもしろみのない人」という意味だが、ここに出てくる聖人さんたちはかなりパワフルだ。大本の出口王仁三郎のところにある<暑いときは、素っ裸で仰臥し、天井から洗濯ばさみを紐でぶらさげて、脱脂綿をあてた睾丸をはさんでもちあげ、それを信者に団扇で扇がせていた>というエピソードには笑った。ほかにも天理の中山みきとか、天照皇大神宮教の北村サヨとか……一種の怪人というか、怪物だったのだなー。


 そして、数限りない<新宗教>のなかからわずか10の教団を選んだだけでも、日本人の「宗教観」のようなものが見えてくるところが、この本を通して読む一番のおもしろさだろう。新宗教というのは、「ウチは代々浄土宗……」というのではなく、「自分が信じるから入信する」というのが基本。だからこそ「日本人が宗教に期待すること」特徴が鮮明に現れるのだと思う。
 病貧苦の救済であったり、田舎を捨てて都会へ出てきた人たちにとっての新しい先祖供養のかたちであったり、現世利益だったり……。新宗教がぐわっと拡大するときは、社会にある不安や欲求をすくい取っているからこそ拡がるわけで。新宗教というのは、当時の日本人の精神世界というものを映す「鏡」として読めるのだ。


 ……とまぁ、いろんなおもしろさがある。反対に、興味がない人には、薬の能書きを読むよりおもしろくないだろうけれど。「宗教に興味があります」という人に向けた本ではなく、「知らなかったことがわかっておもしろい」という層に向けた本として、“ど真ん中新書”でしょう、コレ。甲子園見るときに「PL教団」って実は仏教系なんだよねとか、テレビで沢口靖子見ながら「真如苑ってもとは山伏だったらしいよ」とか、絶対言うと思う、オレ。


 さいごに、この本で取り上げられている「10大宗教」を目次から列挙。できれば「幸福の科学」や「ものみの塔」とかを取り上げた続編も期待したいところ。
1 天理教
2 大本
3 生長の家
4 天照皇大神宮教と璽宇
5 立正佼成会霊友会
6 創価学会
7 世界救世強、神慈秀明会と真光系教団
8 PL教団
9 真如苑
10 GLA(ジー・ーエル・エー総合本部)