2月15日(金)ノルゲを読んだの巻

F誌の原稿を書き上げ、送稿。
佐伯一麦『ノルゲ』(講談社)読了。
野間文芸賞受賞作品。佐伯一麦本人を思わせる語り手「おれ」が美術大学の招待留学生となった染織家の妻に同行するかたちで、ノルウェーオスロに滞在した1997年8月から98年7月にかけての1年間を綴った端正な私小説
生活に必要な細々としたものを買ったり借りたり、妻のクラスメートの家に招かれたり、洗濯場でよく出くわす同じアパートに住む若い女性リーヴに教えてもらったノルウェー作家の英訳作品を和訳したり、無料のノルウェー語講座の教室に通ったり、現代音楽のコンサートに足を運んだりといった、(激烈な痛みを伴う群発頭痛に襲われたり、パソコンのトラブルに見舞われたりといった災難はありながらも)総じて穏やかで和やかな生活を描く中に、前妻とのごたごたで発症した鬱病との闘いにまつわる過去の回想や、異なる文化の中で身の内に芽生えた新しい感覚、リーヴに教えてもらった小説の智恵遅れの主人公に向ける想いといった内省的な思索を織り込んで、不思議と穏やかな心地をもたらす小説になっている。
作中、何度かリルケ『マルテの手記』の冒頭の一文「僕はまずここで見ることから学んでゆくつもりだ」という言葉をひいているが、作者自身“タブラ・ラサ”の状態からまっさらな目で新しい生活に向かい合っているがゆえに生まれたとおぼしきある種素朴な文体が、読み手の素直な気持ちを引き出すのだろう。
《人生は、経糸緯糸の織りなすタペストリー、って歌の歌詞にもあるように、しばしば織物に喩えられるでしょ。でも、『織り』と『編み』とはちがうって。『織り』は経と緯の日本の糸で構成させるのに対して、『編み』は一本の糸だけで平面を生み出す。一度進んだら後戻りできない『織り』と、もう一度ほどいて再構成することもできる『編み』。『織りの人生』というものがあるならば、『編みの人生』というものもあるんじゃないかしら》
妻の言葉が美しい。この小説の希望はここにある。

ノルゲ Norge

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