変奏曲とフーガ 異端調

ダンシング・ヴァニティ

ダンシング・ヴァニティ

キトクロ キトクロ キノクトロ
キクラト キクラト キノクラト
キノ キノ キトロ キノキトロ
カラトロ カラトロ キノカトロ
カクラト カクラト キノカラト
カロ カロ カトロ カロカトロ
石井千湖さま
ああ、すみません、もうねここ1,2週間、このフレーズがいきなり頭の中に浮かんできてはキトクロ キトクロと鳴くんですよ。「ダンシング・アウル」というタイトルの歌なんですけど。ええ、これ歌なんです。メロディは適当。でもこれだけでリズムもなんとなくの音程も分かるってもんですよね。キトクロ キトクロ キノクトロ……ああまた回りはじめた。そのうち振り付けまで考えてしまいそう。
この「ダンシング・アウル」が登場するのは、1月に発売された筒井康隆大先生の最新刊『ダンシング・ヴァニティ』なんですが、もうねー、実験小説なんて言葉じゃぜんぜん足りない、大拍手を贈りたいほどのぶっとび小説なんです。

「ねえ、誰かが家の前で喧嘩してるよ」浴衣姿の妹がおれの書斎に入ってきて言った。

という一文でこの小説は始まります。
「おれ」は美術評論家。「おれ」は妹に向かって「みんなを奥の間に連れて行け。とばっちりを受けるとつまらんからな」と言い、窓から向かい側の空き地で喧嘩をしている若者とやくざ者を見下ろします。やくざ者が勝ったのを見届けた「おれ」は書斎に戻って原稿の続きを書き始める。すると、次の文が、

「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」妹が廊下との境の襖を開けて入ってきた。

「おれ」は妹に「みんなを奥の間に連れて行け。とばっちりを受けるとつまらんからな」と言い、障子窓を開けてやくざ者同士が喧嘩をしているのを眺めます。一方のやくざが勝ったのを見届けた「おれ」は書斎に戻って書きかけの原稿を読み返す。すると、次の文も、

「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」

「おれ」は「みんなを奥の間に連れて行け。とばっちりを受けるとつまらんからな」と言い、窓を開ける。浴衣姿の若い相撲取りが格闘しているのを眺め、一段落ついたのを見届けた「おれ」は書斎に戻って書きかけの原稿を読み返します。
誤植かいな、と一瞬思い、なんじゃおちょくっとんのか、と思い、よーやるわこのおっさん、と笑いがこみあげてくる。しかしそこで油断してはいけません。なんと次のカタマリも3回繰り返される。しかも細部が微妙に違っているのです。つまり、A→A′→A″、B→B′→B″、C→C′→C″という構成で進んでいく。とはいえ必ずしもこのルールに則っているわけではなく、音楽に例えるなら変奏曲とフーガがひとつの小説の中にいくつも出てくるという感じなのです。
こんな手法で綴られる物語、もちろんストーリーもちゃんとあります。「おれ」は、浮世絵についての新説を明らかにした本を出版し成功を収める。また娘と姪が<ソフトブリーズ>という名のユニットを組んで歌手になりこちらも大成功(冒頭のキトクロ キトクロは、<ソフトブリーズ>のヒット曲です)。「おれ」は大きな家を建て、日本画の重鎮として画家たちから崇められるようになり、中国の映画にも村長役で出たりする。ところが、娘婿の浮気相手が殺害されるという事件が起こり──。
いや、もっと言葉を尽くしたいところなんですが(キトクロ キトクロのほかにも意味不明な歌がたくさん出てくるとか)とにかくこんなに笑える本は久しぶりでした。どのページも笑えるんだもの。今さらですが、筒井康隆ってほんっっとにすごい作家だと思いました。「誰もしていない、新しいこと」をずっとやってきたわけだけれど、それは実験とか開拓、チャレンジやトライじゃないんだよね。確信をもって書いている。やってみせている。遅ればせながら『夢の木坂分岐点』『残像に口紅を』『虚航船団』などをまとめて買ってしまいました。あーすぐにでも読みたい。
千湖ちゃんの積読は進んでますか? その中から私が読んでなさそうな注目の新刊を教えてください。それから、千湖ちゃんって一か月に何冊くらい本買うの? どこで読んでるの? そんな「読書ライフ」についても、ぜひ。
北村浩子