ダルのヌードに色気がなかったワケ 2.

イケメンウォッチャー(純イケメンから逆イケメンまで、気になる選手を語る)

続く…はずが、すっかり間延びしてしまいました。えーと、この前は、ダルビッシュのヌードが銭湯の写真みたいだったワケは想像力にあり>ってとこまででした。

どうも、入団以来のダルの話しぶりを聞いていると、彼は根っから想像力というものが欠如した人種のように思えるんです。想像力ったっていろいろありますが、彼の場合、特に<少し先のことへの想像力>。これがスポーンと抜けている感じ。
ここでちょっと、どうしてそう感じるのか、何か根拠を並べないといかんなあ、でもくどくなるあ、と思っておりましたら、またまた来ました。天からのお助け。狙ったようなタイミングで出てくれた『ナンバー』4/24号

どうぞ、この雑誌の22ページ、「すべては野球のために」という酒井順子さんのインタビュー記事をお読みください。<少し先のことへの想像力>が欠けている感じがどういうものか、ダルの応答にとてもよく表れています。
おまけに酒井さんの文からは、
ダルの<想像力の欠如>は、プロスポーツ選手としてのダルにとってスゴく有利に作用する、貴重な資質なのだ、ってこともよくわかります。

そうなんです。ダルの場合、<想像力の欠如>は彼の美点といっていい。
この、ダルの頭の中から抜けてしまった<少し先のことへの想像力>って、もっと正確にいうと、<何かをするとき邪魔になる、先のことへの余分な想像力>なんです。
つい実力以上の自分を妄想するとか、打たれたらと考えて萎縮するとか、やるべきことに対してノイズになってしまう想像力がないのです。
ノイジーな想像力に使うエネルギーが、観察力や記憶力などなど、目の前の経験をモノにするための能力に回せる。「こう動こう」という意思も、くよくよ余計な想像力の邪魔なく小脳にフィードバックできる。
こりゃ、秀でた能力です。
ほら、想像力ってつい、<たくましく>しちゃったり、<膨らませ>ちゃったりするじゃないですか。その容量がまるまる空くわけ。つまり、
<膨らむ想像力>という大容量の、そのくせスポーツする上では使い勝手の悪いソフトをアンインストールしちゃって、野球の練習や試合に必要な実戦的ソフトだけがものすごーくサクサク動くようになったパソコンみたいなもんなんです、ダル君は
ただ…。
ただ、ヌード写真に関しては、このアンインストールが…。
「色気は想像力の産物だと思うの」と、かのK女史が、あの写真の話題になったときに言っておりましたっけ。
無意識に醸し出される色気というものもあるでしょうけど、売り物としての写真集の類なら、被写体のエロスとは、見る方の妄想や下心を意識して、というより念頭において表現されていくものでしょう。
被写体は、見る人がどう思うかを考えながらシナや視線を作って、相手の期待に応えようとする。たとえ本当はサバサバした性格でも、
被写体の想像力が豊かなら相手の期待に上手に応え、色気を表現できるんです
が、ダルの場合はその肝心の想像力がなかった、と。
もう、最初(はな)っから、全然持ち合わせがない、と。
決して無神経な子じゃないと思うんですよね。むしろ感受性が豊かで、人情のある子だと思うんですよ。それでもって、大変正直で…。この、正直、ってとこがミソというか、キーポイント。
何しろ、想像力が欠けているわけですよ。で、正直。たぶんそのせいで、彼の表現は、かなりストレートに偏りがちです。言動に、他人の気持ちを<憚る(はばかる)>ってことがないんですな。
ま、ダル好きにとってはそこが痛快、アンチ・ダル派にとってはそこが不愉快なんですが。
でね、ヌード写真の色気に、<人目を憚る>って意識は、かなり重要だと思うのです。そのちょっとした羞恥心、少し隠そうとする意識、居直る意識なんかの混ぜこぜで、いい色気が生まれるんじゃないかと思う。
でも、
ダルは、他人に「君の裸はきれいで、すごくカッコいいから撮るよ」って言われて、「ふーん、ぼくの裸はきれいでカッコいいから撮るんだ」と思っただけなんです、きっと。自分の裸を見た人がどう感じるかなんて、考えてない。写真を見た人が顔を赤らめてるかもとか身悶えしてるかもとか、知ったこっちゃないんです。想像力ないから。

人目を憚る意識のないヌード写真。
こりゃやっぱり、銭湯の湯船の中か、パンツをはき忘れた身体測定ですな…。

―続く―