ダルのヌードに色気がなかったワケ 3.

イケメンウォッチャー(純イケメンから逆イケメンまで、気になる選手を語る)

さて、ダル君のヌードが余りにもあっけらかんとしてしまった、もうひとつのワケ。
それは、写真を撮る側、つまり、ダルのマネジメントをするエイベックスと掲載誌のアンアン、両者の関係スタッフ達の、<ダルという被写体への想像力の欠如>にあると思うのです。
被写体の想像力の欠如っぷりを全然想像していなかった、という想像力の欠如っぷりです。
ペナントの真っ最中のこの企画。当然、ダルのプライベートの事情*1を知っての駆け込み企画でしょう。ちゃっかり…もとい、しっかりしておりますな。インサイダー取引ヌードとでも申しますか…。
まあとにかく、手だれのスタッフ達は、私生活でそういう事情があれば、自然に男の色気がにじみでるだろう、少なくとも読者の目にはそう映るだろう、と踏んでいたのかもしれません。
しか〜し。
できあがったのは、<色気無き事、入浴鼻歌中の如し>という写真。
アイドル取り扱いのプロ達の胸算用を吹っ飛ばしてしまうほど、ダルの想像力のなさは筋金入りであったということです。そういうところが、痛快なやつです。
それに加えて、撮影に関わったスタッフたちは、ああ見えてダルがどれほど野球に夢中か、ってことにも無頓着だったらしい。野球で見せない魅力を引き出してみせる、という自信があったとしたら、そりゃあ大きな勘違いだったというものです。
野球以外の面において、ダルはとっても生活センスが普通で質実な子だと思います。高卒ルーキーなのにアルマーニの服着て入寮したお洒落なツヨポン(マリーンズ・西岡)なんかとは対照的。スキャンダル!なんて大騒ぎされた原因だって、タバコとパチンコですよ。小せぇ〜、…んです。そういうところが、かわいいやつです。
ダルの想像力の無さは、彼の意識を彼の知っている世界の中に留めさせます。21歳の彼にとって、野球以外の世界は、まだまだ質素なものだったのだと思いす。あのヌードは、野球をとってしまったダルの、静かで地味な部分を写し出してしまったのかも。そういう意味なら、レンズは本質を捉えていた、とも言えなくはない。
ダルの魅力のスケールの大きさは、彼が既にその高みのスケールをよく知っている世界、野球においてのみ、100%表現されるんだと思います。
ダルにとっての野球がどれほどの意味を持っているか、ヌード写真を撮ってセンセーションを巻き起こそうとしたスタッフたちは、ちっともわかっていなかった。そう思います。
それがわかっていたら、きっと、何とか野球のときに見せるダルの魅力を引き出そうと努力したに違いありません。
例えば…。
ダルの美貌が際立つのは、正面からのとき以上に、少し斜めを向いたときだと感じます。野球のときの、ファーストにランナーを置いたセットアップポジション*2。肩越しにファーストランナーを見る瞬間の彼の美しさは息を呑むほど。
頤(おとがい)から顎、首筋にかけての、ギリシャ彫刻も色を失いそうな完璧なフェイスライン。彫りの深い顔に帽子の影がさし、伏し目がちにした涼しい目元と長い睫毛、引き締まった口元が引き立ちます。
と、ここでまた、前回紹介した『ナンバー』の4/24号を参考書に。20ページ。そこにダルのアップ写真が載っています。
その写真はワインドアップ*3ですけど、やや伏し目がちの彼を斜めの位置から写したもので、この角度のダルの美しさをバッチリ捉えています。
やっぱりね、野球見ている人は同じところを「いいな」って思ってくれるんだと思いました。選手の魅力がどこにあるか、熟知してくれている。モチはモチ屋、ですね。
ヌード写真のスタッフも、せめて、そういう角度から撮ってみるとかね。何か工夫してくれていたら…。
結局、彼らは、<ダルビッシュ・有>という、自分達が扱う商品の市場価値はよく知っていたけれど、その魅力の本質は知らずに売っていたのではないか? という気がしてならないのです。
もしダルについて想像力が駆使されていたら、独身時代、最初で最後のヌード写真は、もっとまばゆい物に仕上がったでしょう。
いやあ、ほんとに、輝くようなヌードが見たかったなあ…。返す返すも、もったいなかった…。

*1:ま、言わずもがなですが、知らない人のために。時期を同じくして、女優サエ子さんとの「できちゃった婚」(どうもこの呼び方も何とかならんものか…)を公表しました。

*2:大抵はランナーが出ている場合の投手の構え。ファーストランナーに盗塁をさせないために、腕を振りかぶらず下に構えること。コントロールがつきやすいので、時々、ランナーなしでもこの構えで投げる投手がいます。

*3:大抵はランナーがいない時の投手の構え。腕を顔の前や、頭の上に振りかぶります。時々、盗塁を気にせず、打者を打ち取るためにこの構えで投げる投手がいます。