口上

 絵本について、書こうと思うのである。
 うっへー、絵本だって?
 その単語を聞いただけで読み飛ばそうとしているそこの君(推定年齢二十八歳、製造業勤務、趣味は洗車)、ちょっとお待ちなさい。だいじょーぶ、ダイジョブ! 絵本の話といっても、メルヘンだとか子どもは未来からの大使だとか母子の絆を結ぶ美しい物語だとか、そういう話はしないから。オメメがキラキラするようなお話にはならないきゃらっ。
 では、絵本の何について書きたいのか。子どもだましの話を、書きたいのである。
 子どもは純粋だ。言い方を変えると、単純である。大人の話を真剣に聞くし、だまされたとなれば本気で怒る。むきーって。文字通り頭から湯気を出しながら怒るのである。わっはっは。ざまーみろ。
 しかし、あえて言いたい。子どもはじゃんじゃんだますべきだ。子どもの価値観を尊重するのは大事なことである。しかし、大人が子どもと価値観を共有する必要はない。子どもの心はたしかに純粋なものだが、その分愚かでもある。子どもの言うギャグがつまらないのは語彙が少なくて話の引き出しが少ないからだが、子どもの目線からでは見えないものがいくらでもある。大人と子どもでは背の高さが違うのだから当たり前のことだ。だから大人は、子どもをじゃんじゃんだまして、いずれ同じ目線の高さになったときの準備をしてやる必要がある。子どもをだますのは大人の義務なのだ。
 私は近隣の小学校で児童書の読み聞かせボランティアをしている。人にその話をすると「へーっ、子どもがお好きなんですねー」と感心されるが、それは違う。「子どもの反応がおもしろい」からやっているのだ。上に書いたように、子どもは単純だからおもしろい話を読んで聞かせれば真剣に聴き入るし、つまらない話を選んでしまうとあからさまに白ける。「せっかく読んでくれる大人に悪いから、顔だけでもおもしろいふりをしよう」といった気遣いがゼロなのである。それが楽しい。よーし、やったろうじゃねえか。おもしろい話をがんがん読んで、猿みたいにきーきー言わせてやろう。それが読み聞かせを始めた動機だ。行くぜ、小坊ども。こちとら物心ついてからの本読みで、山ほどネタを持ってんだ。とっとと読み聞かされて、骨の髄まで活字好きが沁み込んだ、どうしようもない本読みになりやがれ! 先生方、読み聞かせがおもしろすぎて、学習指導要領どおりの平凡な訓話が受けなくなったからといってあっしのせいじゃありやせんよ、覚悟しときな。
 ……そんな気持ちで始めた読み聞かせなのである。いい人のふりして学校に通ってきているけど、おいら危険人物。下手に触れるとオルグするぜ。よいこをだましに、今日も校門をくぐる。