牛を感じる

変愛小説集

変愛小説集

石井千湖さま
 アンソロジー、という言葉の意味を私、恥ずかしながらつい最近まで知りませんでした。
 書評講座に通い始めてから知った言葉って実はすごく多くて(クリシェとか、リーダビリティ(が高い)とか)、自分が思っている「言葉の知名度」ってもしかしたらかなり低いんじゃないかと。このくらいならみんな知ってるだろう、じゃなく、これは私が知らないから知ってる人はすくないだろう、の方を疑わなきゃいけないな、と思うことしばしばです。
 アンソロジーは、コンピレーションとかオムニバスという似たような意味の言葉より、語感が儚げで美しく、上質なものという感じがします。千湖ちゃんに教えてもらった岸本佐知子さんの最新刊『変愛小説集』は、たたずまいがコンピじゃなくまさにアンソロジー。グレーの地に空色、紺、そしてピンクの文字と線という組み合わせが都会的で、表紙をめくると落ち着いた若草色の見返しがこれまた素敵(最近、「あ、いいな」と思う装丁は、名久井直子さんという方が手掛けられていることが多いのですが、この本もそうでした)。岸本さんがセレクト&翻訳を手がけられた英米作家の11の中・短編が収められているんですが、もう、どれも面白かった! この本を鞄の中に入れておけることが幸せ、そんな気持ちにさせてくれる1冊でしたよー。
 オープニングの「五月」(アリ・スミス作)の透明でひんやりとしたせつなさ、おかしかなしい設定がたまらない「僕らが天王星に着くころ」(レイ・ヴクサヴィッチ作)、爆笑系の「まる呑み」(ジュリア・スラヴィン作)や「お母さん攻略法」(イアン・フレイジャー作)についても語りたいところなんですが、1作挙げるとしたら「柿右衛門の器」(ニコルソン・ベイカー作)。これ、私はコメディだと思って読んでいたんですが、岸本さんのあとがきを読んだら「ホラー風味」だと。ああっ、そうも読める! と思いつつ、何度も出てくる「牛を感じる」という言葉に、電車の中で笑わずにはいられなかったのです。
 主人公のルーシーは、小さなころから器に興味を持っていた。それは、イギリスの古い磁器を集めるのが趣味の大伯母・パーチ夫人の家に毎年夏に遊びに行って、いろいろな蘊蓄を聞いていたから。パーチ夫人は特に、牛の骨を大量に混ぜて作る器(ボウ窯、という有名な窯で焼いた器)に一家言あり、触っただけでそれが本当に牛の骨を混ぜたものかどうかが分かるような人だった。ルーシーは大学で陶芸のクラスを取り、パーチ夫人に自信作を何度か見せるものの、そのたびに「牛は感じない」と言われてしまう。ルーシー自身も<(粉になっている)牛たちの名前さえ知らない>なんていうのはものづくりの精神に反しているのではないかと思い、年を取った牛を飼っている農家の青年を訪ね、もし牛が死んだらその骨を、ともちかける。快諾しつつ「こいつが逝ったら寂しくなる」と言うその青年に、ルーシーは心惹かれるのだが……。
 「正直言って、牛は感じないわ」
 「でも、やっぱり牛は感じないわ」
 繰り返されるパーチ夫人の言葉に、有無を言わせない説得力があるんですよね。なんで牛を感じなきゃいけないんだ? という疑問が力技でねじ伏せられる快感はそこに理由がないからこそ強烈。そして、パーチ夫人が大切にしていたボウ窯のソース入れが割れてしまう場面の、むちゃくちゃな「なりゆき」もすごい。ここからホラーは始まっていた! とあとで気付かされるんです。
 短編に相応しいスピードで物語を展開させるという技術のすばらしさも感じさせてくれる13ページの作品。実は、ニコルソン・ベイカーは初めてだったのですが、いやあ面白かった。堪能いたしました。
 千湖ちゃんはどの作品をピックアップしてくれるのでしょう。楽しみです!
北村浩子