母校愛憎その1 洗面器3杯のお風呂
私は風呂が好きだ。自宅での長風呂はもちろんのこと、仕事がひと段落した日などには、スーパー銭湯に行くのが密かな楽しみでもある。ものぐさ故に、汚い部屋でも平気で生活しているが、風呂にだけはなぜかこだわり、昔、父親の実家に泊まりに行ったときなど「子供のくせに風呂が長い!」と祖母から怒られたほどだ。小学校高学年の頃から、いつも〝風呂への飢餓感〟のようなものを覚えていた。それは、おそらく学校でのあの経験が〝人生いつでも自由に風呂に入れる訳ではない〟という感覚を植えつけたからだと思う。
私の通った小学校は、東京S区にあるミッション系女子校だ。そんなことを言うと、裕福な家の子供だと思われるかもしれないが、決してそんなことはなく、当時は家族3人でその学校にほど近い2DKの賃貸マンションに住んでいた。見栄っ張りの母がブランド物のバックでも買うような気分で娘にお受験をさせたのだろう。しかし、私の人生に〝三大不幸〟があるとすれば、そのひとつは確実にこの選択だったと言える。そのくらい、この学校の教育は個性的だった。
キリスト教の中でも特に厳格な戒律と質素な生活を標榜するカトリックの教えに基づいた教育方針から、学校生活には奇怪な規則や、現実ばなれした因習が山のようにあるのだが、そこは追々触れていく。まず、ひとつその特殊性を挙げるとすれば、小・中・高校とある全学年の生徒はもちろん、教師も(もちろん校長も)すべて女だけなのだ。しかも、その女教師の半数が修道女という魔界っぷり……。常勤の教師の中には、一人だけ男の先生もいたが、全学年の理科を担当するだけで担任にはつかなかった。
修道女教師の中には、ベールをかぶったいわゆるシスタースタイルの先生もいれば、私服(とてつもなく地味)の先生もいた。女ばかりの学園のシスターなどと言うと、淫靡な想像をする方もおられるかもしれないが、残念ながら西川のりお似おばさんが修道服を着ているような女教師ばかりだった。何が楽しくて生きているのやら、〝女を捨てた存在〟とはまさに彼女たちのことではなかと今でも思っている。
そんな常軌を逸した環境ゆえに、学校行事もどこかすべて、世間からずれていた。小学4、5、6年生の夏には、通称〝山荘〟と呼ばれる、林間学校のような行事があった。学校が長野県の山奥に所有する山小屋で、3〜4泊の共同生活と野外活動を行うのだ。
普通、この年頃の子供であれば、同級生との泊りがけの旅行ともなれば、楽しみで夜も眠れないものだが、ひ弱な都会っ子である私たち。中でも、休みがあればあるだけ、部屋で空想などをして一日が終わるタイプの子供であった私にとって、自然の中での団体行動ほど気が滅入ることはない。一斉起床の直後、歯磨きもせずに賛美歌を歌わされる朝のミサや、夜になると網戸一面に張り付く巨大な蛾のことなどが頭をよぎり、山荘の季節が近づくにつれ、普段から眉間にシワをよせがちな子供だった私の笑顔率はさらに下降した。
中でも私が一番憂えていたのが、この山荘での入浴事情である。施設には十数人が一度に入浴できる広さの風呂場があるのだが(もちろん男女の別はなく一個だけ)、私たち生徒はこの風呂を自由に使わせてはもらえなかった。そこには、自衛隊も真っ青の特殊な入浴作法があるからだ……。
班ごとに決められた入浴時間に風呂にいき、脱衣場で服を脱ぐ。教師の声がけで浴室へ入場するが、1班6名程度の全裸の女児が一列になって進む。そこには担任のY先生(20代・女性・非修道女)が、ジャージをひざまでまくり上げ、食堂から持ち込んだ丸椅子に、えん魔大王のごとく鎮座している。
女児たちの前には小さな洗面器がある。そこに、Y先生が手桶で浴槽のお湯をくみ上げ、「はい、1杯目」とうやうやしく注ぐ。まずその1杯目の湯で顔を洗う。そして、その残り湯を、体にかける。するとY先生が「はい、2杯目」と次のお湯をくださる。タオルをお湯に浸し、石鹸をつけ、日中の山登りなどでドロドロに汚れた体を洗う。2杯目のお湯をザッとかぶって石鹸の泡を流したいところだが、おっと! そいつは早急。泡のついたタオルをまずそこで洗ってから、自分の体を流すのだ。
そして、「さあ、これで最後ですよ」と、さらに勿体ぶって注がれた3杯目のお湯は、仕上げの掛け湯となる。無事に入浴(?)を終えた私たちが、タオルをきちんと洗えていないことや、ぬるつきの残る体のことなど、口々に不満やら安堵の感想やらを言う中、Y先生はなぜかとても満足そうな表情を浮かべていた。私は(アウシュビッツ……)と心の中でつぶやいた。10歳だった。一刻も早く、家に帰りたかった。
この流れで言えば当たり前のことだが、山荘では生徒が髪を洗うことを禁じていた。私たちは、汗だくの登山後も頭を洗うことさえできず、日に日に風体が劣化していった。教師同様〝女を捨てる〟方向に仕向けられているようだった。
まあ、今思えば、蛇口を捻れば水が出る便利な生活しか知らない私たちに、あえて不便を体験させようとした教育的配慮は決して悪いことではない。しかし、あのときY先生の鬼軍曹のような笑みに、閉じられた空間の中で暴走する狂気のようなものを感じ取ったのは私だけだったのだろうか。以来、私は、好きな時間に、好きなだけお湯を使って、ゆっくりお風呂に入ることの幸せに執着し、ことのほか至福を覚えるようになったのである。