『孕むことば』
- 作者: 鴻巣友季子
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2008/05/22
- メディア: 単行本
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エミリー・ブロンテ『嵐が丘』やノーベル賞作家クッツェーの『恥辱』の翻訳で知られる鴻巣友希子が、マガジンハウスのPR誌「ウフ.」に連載していた“子育て×翻訳”エッセイがやっとこさ単行本になりました。連載時からちょびちょび読んでいて、おもしろいなあと思ってたので、うれしい限り。
著者は、38歳で名作『嵐が丘』の新訳を依頼される。それはかねてからの夢で、願ってもないビッグチャンス。しかし、当然のことながら生半可な姿勢では取り組めない大仕事であるのも事実。当時独身だった著者は子どもを持つのを諦める覚悟を持って、新訳に取り組む。しかし、新訳を引き受けた後〈ひょっこり結婚〉し、新訳を終えたあと40歳で第一子をもうけた。
子どもを持ってみると、その前には想像もしなかった“翻訳への効果”があらわれた。
わたしのお腹から出てきた小さな生きものは、おかしなことばを次々と創り出す閃きの宝庫、ことばの宝島だった。翻訳のヒントまでもが大判小判のごとくざくざく埋まっていた。
子どもが成長に伴い言語を獲得する過程につきあううち、ふと「ことば」の新たな面に気づかされる。たとえば、著者の娘は一時期「滑り台で遊びたい!」ではなく「滑り台で遊びたかったのに……」といった表現をよく使っていたそうな。これを聞いた著者は〈should have (been)を使った仮定法の英文和訳みたいだなあ〉と思い、さらに〈「どうせ遊んではだめと言われるでしょうけれど」という if の条件節が省かれた文型(?)なのだな〉と分析をする。
また、「きょうはママでおふろはいる」という言い回しを誤用だと思っていたけど、ふとこの「ママで」は、「ママの世話で」とか「ママについて」といった意味も含む「で」であり、英語の with とおなじ働きになると思い至る。そこで〈わたしはwithという語の概念も改めて理解するのだった。子どもと付き合うことは、大変な文章修行にもなっている。〉
それから、育児や妊娠・出産の話をしているなかで、するりと本からの引用や書評が違和感なくはさみこまれていく。著者自身が実は子どもが苦手という告白ののち、大道珠貴『傷口にウォッカ』に出てくる、ガキはうざいうざいと言いながら口から万国旗を出すマジックを見せてやるヒロインが〈子ども嫌いの理想像〉だなんて書いてある。思わずそっちの本も読みたくなるじゃないか〜(私も子ども苦手だし)。
鴻巣さんという方はクール&クレバーなひとなんだと思う。読んでいても、切れるような知性がびんびん漲っているのがよくわかる。一見近寄りがたそうな凛とした文章で、時折子どものほほえましいエピソードや、内診時に靴下を脱ぐべきか脱がざるべきかの“靴下問題”などを書いている、そのギャップがまた癖になる。子育てと文学をからめたエッセイといえば、先に紹介した『赤ちゃん教育』がありますが、これが好きな人はこちらも好きだと思います。
最後に、鴻巣さんの知性と言葉への美意識、そして子どもへの愛情がコンパクトに詰まった一文を引用しておしまい。
萌えいづる命というのは、きかん気までが目映く、足りないことばまでが頼もしい。