第3回 小説の中のカフェ『荒地の恋』ねじめ正一(その3)

(その1) (その2)
「柏水堂」(はくすいどう)
 


 座席数が限られているため、読書のできるカフェとしてはNGですが、最後に『荒地の恋』に出てくる素敵なお店をご紹介したいと思います。

「親分、お勤めご苦労さんです」

助手席のドアが開き、降りてきた匡夫が気をつけの姿勢で北村に最敬礼した。

「おう」

北村もおどけて応じた。

「どうですか、シャバの空気は」

「うまいねぇ。最高だ」

匡夫と田所が北村を病院へ出迎えた。若い彼らは北村を父親のように慕い、普段の食事から引越しまで、何くれとなく面倒をみてくれる頼もしい仲間たちである。

「柏水堂のシュークリーム? それはうれしいな」

北村より早く田所がうれしそうな声をあげた。

「僕、あそこのスワンシューが大好きなんですよ。東京に出てきてはじめてあのスワンシューを見たとき、世の中にはこんなお洒落なシュークリームがあったんだ、さすが東京だと思って感動しちゃって」

 優有子が北村の退院祝いに柏水堂のケーキを差し入れてくれるという知らせをうけ、彼らを乗せた車内は笑い声に包まれた。
北村は、シャバに帰ってきたと強く思う。
北村を温かく取り囲む仲間たちとの、和やかな一幕である。
退院祝いに花を添えた神保町、柏水堂のケーキは、彼らの間でも評判であった。



 

ショーケースに並ぶのは、どっしりとボリュームのあるレモンパイやバタークリームケーキ。今時のパティシエが作る、小洒落たプチ・ガトーとはちょっと違う、昭和の香りをとどめた懐かしいケーキたち。
優有子が差し入れたスワンのシュークリームにかわり、マンガ『ハチミツとクローバー』 第6巻に登場したことで話題になったプードルケーキが大人気である。





 ケーキ売り場の奥は喫茶スペースになっている。昭和四年当時から客の目をひきつけてきたアールデコ調のステンドグラスとシャンデリアが、今も変わらぬ輝きを放っていた。
三島由紀夫太宰治松本清張。常連だったという、驚くような有名人の名前が、ご主人の口から次々と飛び出した。歴史のあるお店なのである。
 頑なに伝統の味を守り、古き良きスタイルにこだわり続けてきた神保町の柏水堂。荒地の詩人たちが愛したこの町では、彼らの通った足跡をその当時のままに辿ることができた。

荒地の恋』の喫茶店、いかがでしたでしょうか?
他にも渋谷駅前交差点の二階にあるフルーツパーラー、北村がコーヒー豆を買いに行った山下公園のそばの喫茶店、同人雑誌の会合が開かれた東京八重洲口の喫茶店など、いくつもの喫茶店が登場します。次はあなたがこの本をもって、彼らの足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。


柏水堂(はくすいどう)
住所:東京都千代田区 神田神保町1-10
TEL:03-3295-1208
営業時間:9:30〜19:00
定休日:日曜・祝日
アクセス:地下鉄神保町駅A5出口

荒地の恋

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