母校愛憎その2 嗚呼、憧れのアリラン祭

 以前、タレントの清水ミチコさんが「運動会の入場行進を見るとなぜか泣いてしまう」ということをエッセイに書いていた。確かに世の中には大人数の一糸乱れぬ動きが心の琴線に触れてしまう人がいる。その気持ち、すごくよくわかる。なぜなら、私もその一人だからだ。しかし、私の場合それには幼少の頃の特殊な体験が、少なからず影響していると思うのだ。

 前回、ここで書いたように、私は〝奇怪な規則や、現実ばなれした因習〟が跋扈する、某ミッション系女子校で幼・小・中学時代を過ごした(ちなみに高校はリタイヤした)。そこでは、校長(中年の修道女)のことを「校長様」と呼ぶ。「こう・ちょう・さま」だ。それは、校長当人に話しかけるときはもちろんのこと、三人称としても決して「校長先生が〜」などというカジュアルな呼び方は許されない。もっとも、校長と生徒が直接口をきく機会はほとんどなく、式典の壇上や校内テレビ放送などでその姿を見るにすぎない。学校内における校長の扱いはまるで現人神だった。

 他の一般教師も、生徒や保護者にとって絶対的な権力者であった。普通の学校ではあまりないことだが、生徒は職員室に決して足を踏み入れてはならず、ノック2回の後、ドアを開けて「○○先生いらっしゃいますか」と言ってお呼びたてするのが慣例。学期末には素行及び成績の芳しくない生徒に対して、担任から薄い油紙の封筒に入った私信が渡されるのだが、そこには保護者に対しての出頭命令が書いてあるのだ。生徒側ではこの私信を通称〝茶封筒〟と呼び、赤紙のごとく恐れていた。当然私は、この茶封筒をよくもらっていた。

 茶封筒をもらった生徒の保護者は、終業式を過ぎ休みに入った頃、担任のもとに出向き、小一時間ネチネチと嫌味を言われる。その説教の内容というのが「学校で禁止されている香り付きティッシュを持ってきた」とか「制服の一部であるベレー帽を通学路の途中で脱いだ」とかそんなレベルで、時には退学や転校を迫られた。うちでも帰宅した母親からしこたま説教をされたり、泣かれたりしていたから、学期末はいつもやるせなかった。

 私学のわりには清掃業者も入らず、校内のほとんどの掃除は生徒が担当した。しかも、それがやたらと頻繁で、通常〝大掃除〟と言われるようなレベルの掃除が2週間に1回あり、鉛筆の汚れや靴の跡などが、ひとつも無くなるまで、ナイロンたわしでリノリウムの床を磨いた。監督の教師から「校長様が作ってくださった学校です。感謝をこめて床を磨きましょう」などと言われるのだが、当然私は(親が払った学費と寄付金で建てたんだろうが……)と心の中で毒づいていた。

 また、式典などのイベントごとでは生徒の一挙手一投足に細かい作法が求められた。校長が壇上に登場したとか、引っ込んだとかで、何度もおじぎをさせられる。しかも、ゆったりとした8カウントがデフォルトで、全校生徒が同時に頭を下げ、8拍間のうちに同時にもとの姿勢に戻るよう、入学当初から仕込まれるのだ。しかも、教師たちはこのお辞儀の起き上がりざまに生徒が髪の毛が乱れを気にして、頭を振ることをことのほか毛嫌いし、前髪の長い者は式の間、黒ピンでピッチリと留めるよう指導された。

着席形式の式典では、足首、ひざ裏、脚の付け根の3か所がすべて直角(90度)の状態で座り続けるよう指導された。手のひらはひざの上で、右手が下、左手が上になるよう重ね、式が終わるまで40分程度の間、顔や頭がどんなにかゆくても、髪が目に入っても、ひざの上から手を動かしてはならない。

 創立記念日のような何か重要な式典だっただろうか。ある日の予行演習では、ことのほかお辞儀の揃い具合と着席姿勢が重要視され、教師は全員ピリピリしていた。何度もやり直しをさせられ、ようやく予行演習が終わったとき、ひとりの教師がある生徒を名指しして言った。「○○さん! あなた、この予行演習の間に何回髪の毛に触りましたか!!」。今、思えばその生徒は見せしめにされたのかもしれない。でも、私は思った。(予行演習なんだから、気になるならその時に注意すればいいものを……)。そう、規則や作法は百歩譲って私学ならではの個性と捉えることもできよう。でも、それらを守らせようとするあまりに見せる、教師たちの陰湿な言動に傷つき、私は少しずつ無邪気さを失っていった。

 そんな頃、何気なく見ていたテレビのニュースで、強く惹かれる映像に出会う。北朝鮮の風景だった。何百人もの兵士がひざを同じ高さに上げ、同じ角度で敬礼をする軍事パレード……何万人もの人が寸分の狂いもなく動くマスゲーム……。釘付けになった。日本からそう遠くない外国に、似たような境遇の人間がいると思うと、自然と親近感が沸いた。あの頃の私なら、急に北朝鮮に拉致されても、なんのためらいもなく「将軍様」と呼べただろう。食べるものもなく、電気も通らない街で、嬉々としてマスゲームの練習に励むことができたかもしれない。

 今でも、私は北朝鮮の映像を見るのが好きだ。そのたびに、悲しいような、懐かしいような、不思議な気持ちが沸き起こる。オリンピックの開会式で整列入場しない自由な国には少しムカつく。いつかあの〝アリラン祭〟を生で見てみたいと思っている。