おいでになると?

北村浩子さま

 毎日暑いですねえ。北村さん、夏は好きですか? 私は大嫌いなので、なるべく動かず、砂浜に打ち上げられたクラゲみたいにべっちゃりしています。
 日本語教師養成講座の話、面白いです。“媒介語を一切使わず日本語だけで教える直接法”というところがすごいなと。自分が教えるとしたら……想像しただけで気が遠くなります。
 で、早速クイズの回答を。なんとなく意味で考えると(1)(2)(4)は打ち消しの“ない”で、(3)だけが“無”なので(3)かなと思ったのですが、どうも違う気がする。(2)だけが動詞についているので、(2)ですかね。うーん、自信なし。とりあえず(2)にします。
 さて、話は変わりまして。最近、第139回の芥川賞直木賞が発表されました。直木賞の受賞作『切羽へ』は、報道によれば方言の使い方が評価されたようです。舞台は長崎県の崎戸と思われる島。読んでみると、なじみ深い言い回しがたくさん出てきました。私は佐賀県出身で、地理的に近いからだと思います。でも、冒頭のほうで、みょうに引っかかるセリフがあったんです。

 箱のそばにいた港湾課の村崎さんが、手を振った。
「卒業式たいね、今日は」
「おいでになると?」
「そうね、うかがいますばい」(P10)

 「おいでになる」「うかがいます」という標準語の敬語にとってつけたように語尾だけ方言にしている。そこに違和感があったんですね。土地の人なら「おいでになると?」じゃなくて「来らっさると?」か、いっそ「おいでになりますか?」というんじゃないだろうかと。間違っているとか正しいとかじゃなくて、個人的な印象ですが。「うかがいます」という謙譲語と方言を合わせるのもしっくりこない。どうしてだろう? と考えて『ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)』という本を読んでみました。
 敬語というのはもともと、身分制度の上層にいる人たち(江戸時代なら武士)の間で、位の上下をあらわすために使われていた。庶民同士で話すときに使うのは丁寧語くらいで、尊敬語や謙譲語はなかったらしい。えらい人の真似っこをして、いつのまにか使うようになったわけです。だから庶民のものというイメージが強い方言とは合わない気がしたんでしょう。特に自分を1ランク下げて話す謙譲語とは。
 著者は無意識に標準語の敬語+方言を使ったのでしょうか。いやいや、それはないなー、と考え直しました。この小説は、標準語になったり方言になったりするところに仕掛けがあると終盤でわかるからです。
 『ちゃんと話すための敬語の本』では、敬語は精神的に距離のある人に対して使うものだということが語られています。引用した部分の場合、主人公は島の出身だけれどもいったん東京に住んで戻ってきたという設定なので、ずっと島に住んでいる人とは少しだけ距離がある。それをしめすために半分敬語にしたというふうにも読めるんですね。村崎さんがお役所の人で、卒業式は公の行事なので、公の言葉として使ったのかもしれませんが。
 『切羽へ』は主人公の一人称で書かれていますが、方言と標準語だけではなくて、タメ口と敬語も混ぜて、語りを豊かにしているんだなあと。
 というわけで、せっかく北村さんが日本語の話をしてくださるとのことなので、私もしばらく言葉ネタでいきますね。ではでは、次の日本語教師養成講座レポート&意地悪クイズ(笑)、楽しみにしています!
石井千湖

切羽へ

切羽へ