エース岩隈“完全”復活 ―割れなかったガラス 3.―
イケメンウォッチャー(純イケメンから逆イケメンまで、気になる選手を語る)
…そうこう言っている間に、坂道を転がり落ちるように、とうとうかつての指定席、最下位にまで沈没中のイーグルス。そんなチーム状態の中でも、岩隈は見事なピッチングを繰り広げています。
でも、春先はまだ、どんなに快投を見せられても、最多勝をとった頃の彼に戻ったという確信が持てずにいたウォッチャー。というのも、ケガやらフォーム改造の他に、もうひとつ秘かな心配の種があったわけですね。
何かといえば、それは、彼のデリケートなハート。
最多勝をとった2004年のオフ。プロ野球再編騒動*1の渦中で、近鉄バファローズ消滅の推進派だったオリックス球団からの執拗な残留要請を断固拒否した岩隈。複雑過ぎた事情を理解できない人々から<わがままな選手>とあらぬバッシングを受けて、不眠や食欲不振で身も心もぼろぼろ。
それでも意思を貫いて、金銭トレードでのイーグルスへの移籍とあいなったわけですが、この辺りから、彼の頑なさやセンシティブさが表立つことが多くなってきます。
彼のホームページ*2は、目に入れても痛くないほど可愛がっている娘さんについての書き込みで一杯なのですが、自分の家族だけでなく、近所のお子さんたちまで温かい眼差しで見守るようすが伝わってきます。収益金を寄付しているチャリティーオークションも行っています。近鉄バファローズ最終戦で、涙でファンに手を振っていた姿も、優しい気立てを象徴するようでした。
かと思えば、一途過ぎて手に負えない気難しさを見せることもしばしば。昨年の終盤、ベンチの中で克則(かつのり)コーチ*3と掴み合いになりかけた場面が中継で映ってしまったことがあります。その場だけで事は収拾したようですが、移籍問題での頑固さと同様、周りを驚かせるような彼の激しい一面でした。
そういえば、トレードのごたごたが続いていた一時期、彼がホームページで自身の生い立ちについて告白していたこともあるそうです。子どもの頃、ご両親に厭(いと)われ、施設に預けられたり、家に帰れず友人の家に泊めてもらったりということがあり、絶縁状態が続いているというものです。*4
どこかひりひりと痛ましいほどの、深すぎる情や喜怒哀楽。その繊細さがいつからか、神経質さや精神的な脆さと受け取られました。どこかを痛めたというニュースが流れる度に、<背後にあるメンタル的原因>の心配がつきまとう。
<ガラスのエース>という呼び名は、肩や肘だけが理由ではなかったのです。
そんなこんなで、ウォッチャーはいくら絶好調の彼を見せられても、やっぱりハラハラ。「彼のハートってば、いつ何が原因でヒビが入るやらわからんのだから…」。もう心配で、どんな小さなヒビも見逃すまいと、構えてしまっていたのでした。
でも…。
ウォッチャーはすっかり忘れていましたよ。岩隈の強さを。
シビアな家庭環境を乗り越え、野球に邁進してプロ選手になった強さ。周囲に呆れられるほどの走りこみやトレーニングで、ドラフト5位から最多勝投手になった強さ。バッシングを受け、年俸が下がる待遇でも、あえて弱体チームを背負う運命を選ぶ強さ。
岩隈はスマートな外見と裏腹な泥臭い選手。とんでもなく芯の強い、<這い上がってきた選手>だったんです。
その強さが今年の岩隈には戻っていると、真っ先に、本人より先に気づいていたのが野村監督でした。4月10日、ダルとの投げ合いに負けた岩隈への<ぼやき>にこそ、岩隈復活の確信が込められていたと、そう思ったのです。
去年までの監督の岩隈に対するコメントときたらことの他厳しくて、ケガについても、自覚不足や甘えといった表現ばかり。思えば昔から、目をかけている選手に対するほど小言連発になってしまう野村さん。きっと、岩隈の脆さを心配するより負けん気の強さへの期待が勝ってていたのでしょう。
でも、岩隈のデリケートさが頭にあるウォッチャーにとっては、そこまで言っちゃいますか…(^^;)と、ひやひやもののコメントばかりでした。
それが、あの日の
「…岩隈はああいうところが…。…ピンチをむかえたときに、プロの選手として、慎重さと闘争心、どっちを優先すべきですか?………闘争心でしょう!?」
というコメントには、岩隈に対して、心の弱さとか甘えとかの表現はいっさいありません。ただ慎重になりすぎただけだと言っているのです。
確かに、何年も不調に苦しんでいた岩隈は、意識的に慎重に投げようとしていただろうと思います。カッカしないで、落ち着いて、コースを丁寧に、等々と自分に言い聞かせていたかもしれません。
そういうセーブする意識が余計だ、と人一倍慎重派なはずの監督が言ったのです。
「もう、技術もメンタルも言うことはないじゃないか。何でブレーキを踏むんだ。アクセル全開で行けよ!行っちまえよ!」
ってことです。これはある意味、お墨付きではないでしょうか。
ただ腐しているようにみえて、実は誰よりも細かく深く選手を観察している。<再生工場>と言われる野村さんの真骨頂が垣間見えた<名ぼやき>であったと思います。
間違いなく、この日を境に岩隈はアクセルを全開にふかし始めます。
実はこの回のNo.1を書いた翌々日、裏づけしてもらえる記事があったのです。
スポーツナビの7月9日の鈴木千恵さんの記事で、岩隈の言葉が紹介されています。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/text/200807090005-spnavi.html
手術明けのことし初めは「シーズン中にひじが痛くなるんじゃないかという不安はあったし、正直ここまでできるなんて思いもしてなかった」と言う岩隈だが、…。
今季とそれまでで、自分の中で違う部分があるのかと尋ねると、「ダルビッシュと投げ合った試合(4月10日、札幌ドーム。両投手ともに完投するも、1対0で北海道日本ハムの勝利)で何かつかむものがあったし、強くなった」と、振り返る。
その後、彼がつかんだ自信をウォッチャーも確信できるときがきます。
6月14日、東北地方は地震に襲われて大きな被害が出ました。
仙台で開催予定だったイーグルスvsジャイアンツの交流戦も、異例の災害による中止となり、翌15日、地震の犠牲者への黙祷で始まったゲームに、前日からスライドして岩隈が登板しました。
何年も結果の出ないエースを見捨てず見守り続けてくれた仙台、東北のファン*5の苦境を見て、岩隈がどんな気持ちで放るのか、皆痛いほどわかっていました。ちょっと心配でした。もしここで動揺や空回りが見えたなら、やっぱりガラスに逆戻りかも…。
でも、人の冷たさに傷ついてきた男は、人の温かさに応えられる男でした。静かでいながら強い闘志と意志が溢れる投球。完璧に相手打線を封じ込めたその姿を見て、やっとウォッチャー達はこの言葉を使ったんです。
「岩隈、“完全”復活!」
ただいまハーラー独走態勢の14勝。自己最多15勝の更新どころか、ホークス斉藤和巳以来の20勝も夢ではない勢いです。斉藤の記録は最強打線で優勝した年のもの。もしイーグルスの現状で20勝したなら、これは凄い記録です。
強化ガラスになって戻ってきたエース・岩隈。このまま走れ!アクセル全開で。
*1:正確公正かどうかはアレですが、参考まで。選手分配ドラフトの項目に岩隈の件が紹介されています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83%E5%86%8D%E7%B7%A8%E5%95%8F%E9%A1%8C_%282004%E5%B9%B4%29
*3:野村監督の実子。岩隈にとっては堀越高校野球部での先輩でもあります。
*4:現在は奥様の仲立ちで和解したとのことで、記述は削除されています。
*5:仙台のファンは本当に優しい。仙台では春先雪が降る中の試合がよくあります。めちゃ弱時代、メッタ打ちされて負けが確定的になった直後、厳寒の雪の中で帰ることもせず、一段と大きな声で応援しているファン姿に泣けたことがありました…。