“お兄ちゃん”が足りない… ―野球JAPAN惨敗の記1.―

ウチスタ(部屋観戦でドキドキする)

五輪が閉幕して早や4日。ようやく、血が上って沸騰しそうだった頭も冷えたところで、<JAPANサッカー・ドーハの悲劇>と肩を並べて後々語り継がれそうな、<JAPANプロ野球・北京の惨劇>を振り返ってみようかと思います。ああもう、何だか、振り返ろうと考えただけで動悸とめまいに襲われますが…。
まるで激甚災害に見舞われたかのような、実に見るに忍びないJAPANチームの狼狽ぶり。でも、これはけして天災ではなくひとえに人災。それも、本戦前から多くの人が懸念していた、<あらかじめ予測されしところの崩壊>であったのですから、ただ見守るしか術のないファンにとっては、常の敗北より、はるかにやるせないことになってしまいました。何で、みすみす…?ということです。まったく今回は、ネットなどを読んでいても、シロウトの口出しの的確さたるや、野球ファン総預言者状態と思えるほどで、それこそが、今回のJAPANの闘いのお粗末さを象徴しているのでしょう。
そして、海図も磁石も無しに海に放り出されて次々沈没していったような選手たちは、ほんとうにお疲れ様でありました(涙)。
う~、心のまま、あの人について文句を並べたい…(==;)。
しかし、ガマン…。ここでは、感情的になることなく (つまり「ふ×△※#★●!!、ア*◎+ж÷▽!!」などと口走ったりすることなく) 、崩壊の要因を考えてみたいと思います。
さて、今回のチームが、勝敗の結果以上に苦い余韻を残してしまった原因のひとつに、ベンチ内の不和の気配があったと思います。最初のうちこそ連帯意識が垣間見えたものの、しんどい負け方が続くにつれ、眉間を曇らせた選手たちは一人ひとりがベンチに鎖で繋がれたかのようで、目を合わせることすらしなくなっていました。あれこれと、週刊誌などでも内輪暴露の記事が出たりしていますが、そんなものを読まなくてもテレビ画面を見ているだけで、ぎくしゃくを通り越してぎすぎすさえしているようなバラバラムードは十二分に伝わってきました。
シーズン終了後に行われたアジア予選とは違い、つい数日前まで敵味方分かれていた中で寄せ集められた選手たち。彼らのコミュニケーションやチームワークを支えるのに、絶対必要なものが、今回は致命的に欠けていんだと思います。
それが “お兄ちゃん” です。
ちょっと話がそれて、長くなりますが説明いたしますと…。

ペナントレースパ・リーグをずっと見てきて感じたのが、優勝をものにできたチームはその時、どうも選手の間に<三兄弟の構図>ができていることが多いような気がする、ということ。
やんちゃでちょっと気ムラだけど、才能溢れる末っ子タイプの選手。目立つリーダーやムードメーカーで、厳しいところもあるけれど、基本的におおらかな包容力を持つ上のお兄ちゃん、いわゆる<アニキ>タイプの選手。そして、少し地味だけれど堅実で、好不調の波の大きい上下の兄弟を支えて見守れる、中のお兄ちゃんタイプ選手。
この3タイプに、それぞれの役割を明確に担いながらしっかり成績を残せるような選手が揃うと、そのチームは爆発的に強くなる。
ずっと昔、例えばジャイアンツのV9時代やその後しばらくは、野球のチーム構成はもっぱら家父長制的構造の方が重要だったと思います。絶対権力者の家父長たる存在の監督と、選手たちとの関係が重要視され、選手同士は、基本的にライバルでした。
初めて、はっきり選手の間に<兄弟>が見られたのは、清原が入った頃のライオンズだったように思います。かなりワンマンだった広岡監督の後を受けた森監督もジャイアンツOBで、家父長的空気が強く残っていたはずなのですが、にも関わらず、東尾や石毛など親分肌なアニキ的選手、辻などしっかり者の次兄的選手、そして、生意気でとびきり運の強い工藤*1やスーパールーキー清原ら末っ子的選手の関係が、新しい構図が生まれたことを感じさせたのです。日本シリーズ優勝目前、守備位置で涙が止まらなくなった清原*2に対して、彼より2回りも小柄な辻が、下から覗き込んで優しく声をかけていたのが、象徴的なシーンでした。
王ホークスの初優勝も、秋山・工藤ら、元やんちゃ坊主ベテランが長兄役、元気でアクの強い城島・井口らの末っ子的若手、そして早逝した藤井投手という、誰からも慕われた次兄役の選手がいて、福岡に移ってから苦節の年月を経て、ようやく<三兄弟>に人材が揃っての優勝となりました。
最近でいえばマリーンズは、超天然で人気者の初芝兄ちゃんに、諸積やサブローなどのゆるキャラ次兄、西岡・今江のきかん気末っ子という、奔放三兄弟。
そしてファイターズ。成績は低迷していたものの、森本ひちょりダルビッシュなど、弟キャラの人材にはこと欠かないところに、新庄というスーパーに華やかな選手が加わって、アニキ役を引き受けてくれました。でも、まだ次兄役に器の大きな選手がいなかった。最後のピースになったのがシュアーな稲葉でした。劇的な優勝への扉を開いたのは新庄でしたが、優勝を現実的な形にしたのは稲葉だったと思います。元々の主砲だった小笠原は、長兄・次兄、どちらにもなれなかった。この関係性は非常に面白いのですが、これはまた後日の話題に。
そんな、ペナントレースにおける、<三兄弟の構図が招く優勝の法則>(強引です。すみません)は短期決戦にもあてはまります。そう、2006年、日本中の野球ファンを歓喜の渦に巻き込んだ、WBC優勝。あのときのJAPANも、やっぱり三兄弟構図のチームになっておりました。

<続く>

*1:工藤公康。現横浜ベイ・スターズ投手

*2:ドラフトで彼を指名すると公言していたジャイアンツが土壇場で桑田を指名し、彼は涙を目に浮かべたのですが、ライオンズに入団して2年目に、そのジャイアンツと日本シリーズで相対することになり、そのジャイアンツを倒しての優勝が確定的になったとき、まだ試合中なのに堪えきれずに泣いてしまったのでした。