12月7日(日)ワッツでもビヨンセでもないナオミの巻

昨日(6日)は早稲田大学客員教授をなさっておられる永江朗さんに呼ばれて、学生相手に「どんな学生生活を送ったか」「どんな仕事をしてきて今に至るのか」「どうやって書評を書いているか」といった話をしてきた。
しかし、9月に集中講義してきた京都造形芸術大学でも思ったことだけど、今の若い人はほんとにお行儀がいい。嫌味でもなんでもなく、本心から「えらいなー」と思う。自分の20歳頃と比べると、なんかいろんな意味ちゃんとしてる、ような気がするのだ。
でも、だからこそ、これだけ真面目に授業に出て、おそらくはきちんとレポートも出して、ちゃんとした成績も取ってるのに、社会に押し出された時「なんで、こんな仕事にしか就けないのか」という昏い怒りも抱えてしまうのだろうなあ。その点、授業には出ず、パチンコと競馬と飲み会と読書しかしてなかったわたしは「自業自得」と自嘲するしかなかったもんなー。
なんか、大学出るまでは完璧に遊びの時間で、社会に出て初めて努力をするようになった、という意識がわたしにはある。でも、今の若い人はきっと「22年間ずーっと努力してきた。この上また努力しなきゃならないのか。どこまでどれだけ努力すれば認めてもらえるのか」という徒労感を抱えているのではないか。わたしなんかに同情されてもクソの足しにもならないだろうけど、47歳のわたしもまたこういう若い人が夢をみにくい社会を作ってきた一員だから、申し訳ないという気持ちを抱いたりもするのである。
でも、それでも言っちゃうけど、だからといって成功している人を妬んだり誹ったり、頑張ってるのに認めてもらえない状況を僻んだりしてちゃダメ。そういうタイプで、ひとかどの人物になった人をわたしは知らない。そういう人が書く原稿が面白かった試しはない(そのキャラを完璧に自己客観視できた上で、芸の域にまで昇華できてたら話は別)。
でね、目の前の課題に一生懸命誠実に、絶対に手を抜かず取り組み続けてればね、それを認めてくれる人は絶対に現れるから。それが、わたしの社会人歴25年間の実感。お互い、愚直で行こう!
今日はこれから新橋演舞場へ。藤山直美松竹新喜劇の面々を引き連れての公演『年忘れ 喜劇まつり』を観劇するのだ。直美に関しては、仲のいい友人2人とファンクラブMH支部を結成しているくらいのファンだと思ってほしい。愛知県育ちのわたしは、お父さん(寛美)の芝居も子供の頃ずっと見ていた。で、その上での暴言なんだが、直美のほうが役者としての資質はさらに上なのではないか。
笑うかどには福来たるの精神で、ちょっとどうかというくらい笑ってこようと思う。