母校愛憎その6 宿敵! キョウサバとの戦い

 小学校の担任教師というのは通常ひとりが1クラスを担当するものだろう。しかし、過去5回の連載に渡りその珍妙ぶりを披露してきた我が母校の小学校は、1学年(全2クラス、100名、全員女子)に対して2名の学年担任がつくというシステムになっていた。もちろん両名とも女性で、ベテランと新米がコンビを組んでいる。まるでデカのように。

 小3のとき私の学年を担当したのは、当時50代前半のベテラン教師Nと、大学を出たての新米教師Yのふたりだった。この両名は修道女でこそなかったが、Nはこの学校の卒業生でカトリック教信者。大学卒業後すぐ母校にUターン就職し、その年齢になった元祖・負け犬だ。Yは卒業生でもカトリック信者でもないが、女子校育ちでキリスト教系女子大を卒業した同じ穴のムジナだ。そう書くと、このふたりを楚々とした令嬢や品のいいインテリ夫人と、イメージする人もいるかもしれないが、この学校に限って言えばそんなビジュアルの教師は皆無だった。Nは白髪混じりのオカッパ頭でノーメーク。タレントの大木凡人を思わせる大きな眼鏡をかけていた。Yは女子大というより体育大、しかも山岳部という感じの素朴な外見だった。

 通常、この担任は1〜2年の任期でコンビごと変わるか、少なくともどちらかが交代する仕組みになっていた。しかし、どういう訳だか私の学年は小3から小6までの4年間、人格形成にとって大切なこの時期を、このコンビに担当されることになってしまったのだ。
 とくにベテランのNは、何が気に入らなかったのか、今だにわからないが、何かと私を目の仇にしていた。前回、ここで書いたが私をダメな髪型の見本として100人の前で断罪したのも、もちろんこの人だ(「母校愛憎その5 前髪は眉毛の2センチ上」参照)。

 ある日のこと。比較的なごやかムードの漂う終礼のときだった。Nの口から生徒にとってあまり喜ばしくない情報が報告された。詳細は忘れたが「近々、テストがあります」とか「遠足が延期になりました」とか、そんな内容だったように思う。それを聞いた私は反射的に「ウッソー!」と言った。これは、当時の婦女子が驚きを大げさに表現するときなどに使う流行語だったのだが、Nは早速そこに弾圧すべき流行風俗の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。私のことをキッと睨むと「先生がいつ嘘を言いましたかっ!!!」と、ものすごい剣幕で怒鳴った。クラス中がシーンと静まりかえった。

 もちろん、私だけでなく多くの生徒がNには泣かされた。生え抜きでベテランなのをいいことに、さまざまなオリジナル校則作り、あらゆる手段を使って守らせた。担当教科の算数ではデキる生徒だけをひいきした。黒板にフリーハンドでキレイな円を描くことができるのが自慢で、1年のうちに何度も授業で円を描いた。心得のある生徒はそのたび「おぉーっ!」と驚いて見せた。そんなときのNは満足そうだった。

 そんな訳で、不出来な生徒たちは放課後の教室に集まって、Nへの不満を語ることが娯楽のひとつとなっていた。しかし、前回までに書いたように、我が校ではこのような状況における突然のガサ入れが付き物。いつ教師に踏み込まれてもいいように、Nの隠語を作成することになった。

 早速、我が悪友にして毒舌あだ名付けの名手Mが言った「〝恐怖の算数ババァ〟略して〝キョウサバ〟ってのはどう?」。満場一致で可決された。しばらくすると、さらに縮めて〝サバ〟と呼ばれるようになった。ちなみに、相方の若手教師Yには悪友Mにより〝エグレ〟と名づけられた。何がエグレているのかは、ご想像にお任せしたいが、恐ろしきかな、子供…である。

 サバ&エグレコンビとの付き合いも4年に渡り、卒業年次を迎えた小6の秋のこと。全校あげての恒例行事のひとつ、クリスマス会の準備シーズンがやってきた。小学校とは言え、我が校のクリスマス会はなかなか本格的で、ミサや合唱などのほかに小5と小6の有志がキリスト生誕劇を演じるのが伝統になっていた。緞帳や照明のある立派な舞台を使った劇に出演できるのは、クリスマス会の実行委員会メンバーとキリスト教の洗礼を受けた信者、そしてクラブ活動で演劇部に所属する生徒に限られた。心踊ることの少なかった小学生生活、私も最後くらいはハレの気分を味わいたくて、小6では演劇部に入部した。ちなみに演劇にはまったく興味がなかった。

 しかし、問題は例のサバが演劇部の顧問にして、生誕劇の製作総指揮も手がけていたことだ。何かと問題の起こりそうな配役からして、すべてサバの独断により決められていた。この劇でのヒロインは意外にも聖母マリアではなく、マリアにキリストの受胎を告げる〝大天使様〟という役だった。天使の親玉であるその役は白いオーガンジーのドレスをまとい、スポット照明の当たる舞台にピンで登場する。白くてふわふわしたドレスは、当時「魅せられて」という曲で人気だった歌手、ジュディ・オングの衣装のようで、私も秘かにオングなドレスに憧れた。 

 しかし、サバは迷うことなく私に〝ヘロデ王〟役を命じた。ヘロデ王とは聖書上の解釈によると、自身の権力を脅かすキリストが誕生したという噂を聞きつけ、領内の2歳以下の男児を皆殺しにした伝説を持つ極悪非道の漢だ。今思うと、完全に悪意あるキャスティングだ。

 ちなみに、大天使様の役は学業優秀な美少女のみっちゃんという生徒が務めた。みっちゃんのお父さんは、当時大人気だった学園ドラマの演出家だった。教師たちは普段「学校でテレビの話をするな」などと不当弾圧を加えているわりに、こういうときだけあっさり権威に寝返るところも、一本気な私としては釈然としないものがあった。

 みっちゃんとは大人になってからも、同級生の結婚式で再会したが、相変わらず美しくてほがらかだった。彼女は某航空会社で国際線のキャビンアテンダントを勤め、結婚後はご主人の転勤先で、地方局の奥様レポーターのようなこともしているというから、まさに、大天使様にふさわしいその後ではないか。私と言えば、不惑を目前にして、ここでこんなことを書いているのだから、まあ、サバのキャスティングはあながち間違っていなくもない。

 私がサバの悪意に気づいたのは最近になってからだが、当時から小学生相手に大人げない仕打ちを繰り返す教師たちには何か共通する〝浮世ばなれ感〟のようなものが染み付いていた。私のような生徒にとっては監獄のような生活だったが、あの空気に馴染んだ教師たちにとって、そこは自分が全知全能の神になれるメインステージだったに違いない。
 サバが私の担任だったのはおよそ30年前の話だから、今も生きているとすれば80代になるだろう。私がこの学校を離れてからも、一度も他校に移ることなく、定年まで現役のクラス担任として活躍し、退職後も書道講師となり同じ学校で働いていたという。

しかも、サバというあだ名は後々の代まで引き継がれ、10数年後に出会った現役の後輩にも「サバ」と呼ばれていたのには驚いた。ふたり暮らしをしていたご母堂が亡くなったとか、S区某所でサバを見たが驚くほど腰が曲がっていたとか、節目節目で噂は耳にしてきた。しかし、2009年の現在に至ってもサバが他界したという噂はまだ聞いていない。