母校愛憎その7 私は「●●園」で学校を辞めました(1)

 過去6回に渡ってその独自すぎる教育方針と、数々の珍妙な校則について紹介してきた我が母校(都内某カトリック系女子校)。ここまでの連載を読んでいただいた方は(まだ、あるのかよ!)と思われるかもしれないが、もちろんまだある。校内だけでなく、放課後や休日における校外生活についても、事細かな規制があった。

 中でも、今となっては失笑せずにはいられないものに〝「宿」という字の付く街に行ってはいけない〟というローカルルールがあった。教師曰く――新宿、原宿など「宿」の字がつく街は、元宿場町だから猥雑で危険な場所が多い。よって親の引率なしに行ってはいけない――というものだ。当時の私は相変わらず(じゃあ、渋谷はいいのかよ…)などと、心の中で毒づいてはいたが、昨今の三宿が夜な夜な芸能やマスコミなどの業界人が集う街になっていることを考えると、あながち間違いではないのかもしれないと思う今日この頃。小学生の私は当然「宿」の付く街に激しく行きたがっていた。

 小学校高学年ともなれば、おしゃれもしたいし、友人同士で買い物にも行きたい。当時の10代女子にとっても、流行の聖地は原宿で、私もいつか原宿でクレープ片手に買い物をすることが夢だった。小学生とわかったら店の人に咎められるのではないかと、ドキドキしながら買った、雑誌「セブンティーン」付録の「原宿お買い物マップ」を眺めては何度も脳内シュミレーションをした。この計画が親にバレないように、お買い物マップを封筒に入れ、中学男子のエロ本のごとく、引き出しの奥の奥にしまいこんでいた。

 ある日、近所に住む悪友Mの家に遊びに行くと、最近原宿で買ったという服を見せてくれた。姉のいるMは情報通な上、姉妹と母親とで買い物に行くことも多いらしく、流行の品を何でも持っていた。私が「いいなぁー」と羨ましがると、「じゃあ、今度二人で行ってみようよ!」とMは言った。

 ある日曜日。親には「Mの家に行く」と告げ、地元の駅でMと待ち合わせた。この時点で、誰か学校関係者に見られはしないかと忍者のように周囲を窺った。お財布にはなけなしのお小遣い、カバンには「原宿お買い物マップ」を忍ばせた。電車を乗り継ぎ原宿駅に着くと、私達は竹下通りをぶらつき、念願のクレープを食べた。Mが持っていた服を売る店にも行ったが、服を買うほどのお金はないので、お揃いでレースの飾りのついたカチューシャを買った。それから、駅前に戻り歩道橋の上からフィフティーズ系のダンスをするグループを眺めていたら夕方になった。家に戻るとカチューシャと原宿マップを、速攻で引き出しの奥に隠し、何食わぬ顔で過ごした。少し大人に近づいた気がした。女子的スタンドバイミーな1日だっだ。

 そして、数日が経つと私達の原宿大冒険は学校にバレた。もちろん情報漏えいには細心の注意を払ったが、いかんせん子供なのでその辺はあてにならない。「大野さんとかが原宿に行ったらしい」という噂が教師の耳に入り、私は職員室に呼び出され、反省文を書かされた。数人でやった悪事も、俎上に上るのは常に私1人だけだったことは、今もって釈然としない。この頃から私は、行き場のない怒りや、世の中への憤りを「恨み言ノート」に綴るようになった。今の私の原点がそこにある。

→(2)に続く