母校愛憎その7 私は「●●園」で学校を辞めました(2)

 
 日々是修行の小学校生活を経て、私は同じ学校の付属中学に進学した。進路決定の時期に「あたし、中学は他のところに行きたいな…」と控えめに主張したこともあったが、見栄っ張りの母にそんなことを言っても馬耳東風であることはわかりきっていた。

 中学校での惨劇はまた機会を改めて書くとするが、相変わらずの珍妙な校則と、旧共産圏のような監視社会は、さらに締め付けを増した。その上、中学受験を経た精鋭が1クラス分ほど入学したことで、中の下くらいだった私の成績が、いよいよ下の中となった。学校での居場所のなさは、言わずもがなである。

 中学2年の春のこと。近々ある我が校独自の休校日(聖母マリアの出現を祝う宗教的記念日)に、近隣の区にある遊園地へ行くという計画が、学年のあちこちから持ち上がっていた。もちろん、我が校では生徒同士で遊園地に行くなどという超不良行為は、あってはならないこと。みな、情報漏えいには細心の注意を払っていたはずだが…(以下、同上)。

 私も、あるグループに混ざり遊園地計画に参加した。この休校日は、世間が平日なので、遊園地はガラガラ。お目当ての絶叫マシーンも1日パスを買えば乗り放題なのである。教師にバレることはやや不安であったが、これだけ多くの生徒が行くのだから、(まぁ、大丈夫だろう)と、高をくくっていた。もちろん、親には「友人の家に行く」とだけ告げた。

 予想したことではあるが、当日は園内でいくつかの同級生グループと出くわした。でも、皆が(これくらいはいいよね?)という認識の元、コソコソしたり、気まずいムードにもならず挨拶をかわした。私も、その日は大いに楽しみ、夕方には帰宅した。

 それから数日した終礼の挨拶の後、担任のシスターYが言った。「では、皆様ごきげんよう。それから、大野さん。ちょっと残ってください」。(キターーーーーッ)である。これまでもこの連載で何度か書いてきたように、我が校では当局(教師)の意に逆らう生徒には、教師による糾弾会や、親の呼び出し、念書を書かせるなどの報復措置がとられてきた。この居残り命令は、恐らく糾弾会への呼び出しに違いない。

 私が、おずおずと近づくと「今から15分後に正面玄関の受付横で待っていてください」とシスターY。ちなみにシスターYは、日ごろからベールをかぶり修道服を着たバリバリの修道女だが、〝おねぇ言葉でしゃべる金剛地武〟を想像していただけると、実像が掴みやすい。

 正面玄関とは、校舎の中央に鎮座する来賓用のエントランスのことで、入って右に木製の簡素な受付カウンターがあり、ホールの塵ひとつないリノリウム床には観葉植物が据えられている以外に何もない。怖いほどに閑散とした空間だ。私は、そこにひとりぽつんと佇みシスターYが来るのを待っていた。普段は糾弾会の呼び出しとは言え、職員室前などが多いのに、この気合の入れようはどうしたことか…糾弾のネタは先日の遊園地のことかもしれないが、そうであるならば、なぜ他の生徒は呼ばれないのか…。そんなことを考えていたら、ホールから校舎を貫き、真っ直ぐ伸びる廊下の果てにシスターYの姿が見えた。しかし、私の姿を確信すると、芝居がかった様子でコクリと頷き、今来た方向に姿を消した。どうやら、今日のお相手は担任のシスターYではないらしい。

 程なくして、私の背後に殺気が走る。振り向くとそこには高校の主任であるシスターOが立っていた。我が校には小・中・高校を束ねる象徴としての校長(私たちは普段から彼女を校長様と呼ばされている。「その2 嗚呼、憧れのアリラン祭」参照)がひとりいたが、高校主任のシスターOはナンバー2にして実質的には現場を任されている最高権力者と言われていた。ちなみに、シスターOは人の二倍はありそうな大きな頭と顔を持ち、その肌が妙にツルッとしていることから、「タマゴ」とあだ名を付けられていた。顔立ちは松本清張を美形にした感じ(?)とでも言おうか、眼光鋭く、唇がやけに分厚かった。しかし、私はこのシスターOと普段会う機会もなければ、話したこともない。そんなシスターOを送り込んで来るとは、こけおどし以外の何物でもなかろう。卑怯なり、金剛地。いや、シスターY。

 「あなたが、大野さん? じゃあ、ちょっとこちらへ」。シスターOの低くてよく響く声に促され、私は普段生徒が立ちることのない来賓用応接室に通された。ガラスのテーブルを挟み、今まで1度も話したことのない最高権力者と向かい合う。「今日は、どうして呼ばれたか分かりますか?」とシスターO。「さぁ…」と、とぼけた返事をする私。まあ、ここまで来たら、やったことはやったと、認めざるを得ないのだが、実はこのとき私はまったく違うことを考えていた。足元に置いた学生鞄に、この日はお気に入りの小さな鈴(18金製)を付けていた。それが見つかり没収されることをことのほか恐れ、冷や汗をかいていたのだ。

 しびれを切らしたシスターOが話しを切り出した。「あなたが、先週の休校日に●●園にいたという話を聞いています。生徒だけでそういうところに行くのは禁止されていることはわかっていますよね。なぜ行ったのですか?」。そう言われても行きたかったから行ったのだが、要は規則を無視する私の厚顔ぶりに何かひとくさり言いたいのだろ。仕方なく「みんなも行っていたし、いいのかなと思って…」と正直に答えた。すると、「みんなって誰ですか? ひとりひとり名前を挙げてください」とシスターO。いや…それは言えない。密告者の仲間になるなんて私のプライドが許さない。第一、その日遊園地で会った全員を覚えているわけではないのだから不公平ではないか。だったら、私を密告したのは誰なのかを先に言うてみい…。

 両者の間に長い沈黙が続く。すでに40分近くが経っている。私は腕時計をちらりと見た。その時だった「あなたっ! 今! 時計を見ましたねっ!!」。ここまで威厳を保ってきたシスターOに激情がほとばしる。清張ばりの唇がプルプルと震えている。しかし、私はこのときもまったく違うことを考えていた。くだらない尋問を切り返すことより、日頃から帰宅時刻が30分でも遅れると「また、学校で何かあったの?!」と、問い詰める母に、今日の件がバレることをことのほか恐れ、胃痛に耐えていた。

 その後、少し平静を取り戻したシスターOだったが、(あなたには呆れてものが言えない…)と言わんばかりに、糾弾会はお開きになった。その後、生徒だけで遊園地に行った者は、他にも個別に呼び出され、反省文に親の捺印をもらうという刑で収束したと記憶する。つまり、私がネタを割る、割らないに関わらず、容疑者リストはあがっていたのだ。それなのに、あのような三文芝居に付き合わされて、こっちこそ呆れてものが言えない。とは言え、学校の最高権力者に、とんでもなくふてぶてしい生徒として記憶されてしまった私。高校への進学はないな…と、このとき秘かに決心を固めたのだった。