マイ・ブルーベリー・ナイツ (’07/米)

[rakuten:book:12959763:detail]

<ものがたり>
NYの片隅のちっぽけなダイナー。オーナーでイギリス人のジェレミージュード・ロウ)が取った電話は、ある男性の所在を確認するものだった。「見かけだけじゃわかんないなあ…。その人、何が好き?付け合せは?あ、それならもう出てったよ。女の人と2人で」 がちゃんと切られた後、今にも癇癪を起こしそうな女性が店にやってくる。彼女の名はエリザベス(ノラ・ジョーンズ)。実は電話してきた本人で、自分の恋人の浮気に怒り心頭。叩きつける様に合鍵を置き、件の彼が店に現れたら渡すよう言い放つが…。

これ、本当に共同脚本がローレンス・ブロックなのかなあ…。でもきっとメンフィスとラスヴェガスのパート担当だと思う。なぜならそっちはなんぼかマシだったから。
レイチェル・ワイズとデイヴィッド・ストラザーンのシーン(メンフィス)とナタリー・ポートマンのシーン(ラスヴェガス)はさすがに芸達者で演技自体は見所があるものの、画面はいつものカーウァイタッチで、コマ送り(っていうのか?)と赤・緑のネオンやピントぼけぼけがアートっぽく見せている(んだと思う。全然そう見えないんだけど)。かえって観づらいだけと思うのは私だけなのか?そんなわけで、熱演すれば熱演するほど画面との温度差が激しくなるばかり。

話をストーリーに戻すと、この主人公の女、同性からも嫌われるタイプ。ふられてヤケになるのはともかくとして、「相手の女ってどんなだった?きっと大したことない女だと思うけど」とか「まだ合鍵取りに来ないの?どういうわけ?」とか、怒りまくって店主のジュード・ロウに絡む絡む。しかも毎晩。挙句の果てに、なぜ別れた男にそんなに会いたいのかと聞かれると、「もちろん、私をふった理由が知りたいからよ!」って、
そりゃお前の性格だよ!!

数日間散々毒づいて騒ぎまくった挙句、一息ついたら目の前にいるのがいい男だったと気づいたのか、「なにか食べる」という本来のダイナーの目的を思い出したかのように、薦められてブルーベリー・パイを食べる女
「いろいろ手作りのパイはあるけど、いつもこれだけ売れ残っちゃうんだよね。でもそれはパイのせいじゃなくて、お客さんが選ばなかっただけ。でもいつか食べたいって人が現れると思って毎日作ってるんだ」なんてことを店主は言うんだけど、確実に売れ残るとわかってるものを毎日作るな!!!ホールで残ってるんだよ??経営方法も間違ってるけど、そんなムダ出してどうする!!まずはお百姓さんに謝りなさい!

店主がどうしてこんな女が気に入ったのかさっぱりわからないままに、日々仲良くなっていく2人。と、いきなり女は自分探しの旅に出る!! なんで?(笑) そんな性格でしかも商売の邪魔(売れ残ったパイをただ食いしてるだけ)までしてるのに、いつもにこにこ迎えてくれる、年回りもいいし、とりあえず収入も安定してそうな独身男がいるのに!!! しかもそれ、ジュード・ロウなんですけど!
ここで”容疑者X問題(注)”が出てくる。これがポール・ジアマッティとかだったらわかるけど、目の前にジュード・ロウが万全の態勢でいるのに姿を消すというこの説得力の無さ! と日本の一OLは強く思うのだった。

そんなわけでどんどん遠くに行く女は、何をするかと思うと行く先々でウェイトレスのバイト。店主に手紙を送る際、足が付かないように(?)自分の居所は伏せるという、これまたあざとい行為でますます嫌われる女度アップ!店主、そんな女ほっといていいよ!!

不必要なほど胸の谷間を強調したポートマン(ムダ見せ)と別れた後、平気でNYに戻ってくる女。それを変わらぬ笑顔で迎える店主はHACHI並の忍耐力だけど全然ほめられない…ていうかお人よしなのかヘンな女マニアなのかとしか思えない。 

そしてポスターにもなった、パイ食い散らかして寝くさる女の口元に付いたクリームをなめる、という、やはり店主はマニアだったのね!てなシーンで終わり。観終わってこの映画一番の問題は、一応食べ物がキーなのに、ノラ・ジョーンズの食べ方がダメダメなところ。店主は「食べっぷりがいい」なんて言うんだけど、どう見てもフォークで遊んでるだけで、ちっとも美味しそうに食べてないのである!実は皿さえもほとんど映ってないという事実。予想通り「自分らしく生きれば幸せが来る」という勘違い癒し系映画であった。脱力。

注 : 映画『容疑者Xの献身』で、原作ではどうイメージしても温水洋一、又は大地康雄でしかありえなかった役柄が、堤真一でキャスティングされたこと。これにより、「堤ならいいじゃん!」と、松雪母子との関係にサスペンスが生じなくなった