『アメリカ下層教育現場』(林壮一/光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

 アメリカ在住の日本人ノンフィクションライターである著者は、恩師に頼み込まれ、ハイスクールで教鞭をとることになった。担当科目は「日本文化」。ところが、学級は始める前から「崩壊」していた……。
 黒人ボクサーの光と影を描き、同時にアメリカ社会におけるマイノリティの生き様を浮き彫りにした秀逸なノンフィクション『マイノリティーの拳』。その著者・林壮一がネヴァダ州・リノの底辺校で教鞭をとった4か月(+その後)を描いたのが、本書。
 荒廃する公立校への対策として、1クラス20人程度の少人数にして、より深い絆をつくろうとはじまった「チャータースクール」。しかし、<10年以上が経過した今、チャータースクールは一般の公立校より水準が低く、劣等生の集団に過ぎないのが現状だ>。日本のアニメやゲームがアメリカの若者に絶大な人気を誇るようになった今日、生徒が関心のある科目で学習意欲を高めようということで、免状もない著者におはちが回ってきたというわけだ。

 初日の授業から、UNOをやる女子3名、ハッキー・サック(小さな布の玉を地面に落とさないようにけり合う遊び)に夢中の男子5名、MP3プレイヤーを取り出すやら、クラスメイトの髪をとかすやら、黙って教室を出て行くやら……というカオスに愕然。プロボクサーライセンスを取得した過去もある著者が、まさに体当たりで、なんとかひとりひとりを授業にひきつけていく悪戦苦闘ぶりが読みどころだ。
 授業内容は「公園でスモウをとる」「生徒の名前をカタカナでどう書くか」「3コマ目まで描いてある4コマ漫画の4コマ目を考える」といったものから、「パール・ハーバー」、「殺人事件とその裁判」……など、多岐にわたる。集中力のない学生に、どうにか関心を持ってもらおうという著者の努力が伺える。なかでも印象的なのは、卒業式で国歌斉唱を行うかどうか悩んだ末に自殺した広島の県立高校校長を取り上げた授業だ。「キミたちは、アメリカ国歌を歌う時、疑問を感じることはあるか?」という著者の問いかけに、生徒たちは口々に「ない」と答えている。どんなに階級が分断していようと、「The Star-Spangled Banner」を歌うときにはひとつになる国。どんなに「日本人ならわかるはず」と思っていても「君が代」が分裂の象徴となる国。日米の違いが端的に表れているいい素材だと思うし、<あのモラルの欠片も無かった初日の状態から、同じ教室で、彼らとこんな話ができるようになったのだな>という著者の感慨には深く肯いてしまった。

 生徒たちは、もちろん好きでこんな底辺校に流れ着いているわけではない。移民で英語が不自由だったり、親が片方しかいないうえに放任だったり……つまりは格差社会の行き着く先として、この学校があるのだ。これがアメリカの現実であり、そしてこの先、日本が直面する現実であるかもしれない。
 しかし、ある種の希望を持ってこの本は描かれている。アメリカにも能力と熱意のある教師はいるし、ボランティアとして若者を助ける大人たちもいる。そんな、アメリカの懐の深さを感じるエピソードも、この本の価値であるだろう。
 スラムに育ち、どうしようもない不良から軍の職業訓練部隊を経てボクシングに出会い、最後には伝説となった人物にジョージ・フォアマンがいる。アメリカでは常に「セカンド・チャンス」への希望は開かれているが、実際にフォアマンのようにそのチャンスを掴める者はひと握りだ。著者が教えた生徒の中に、「セカンド・チャンス」を掴める者はいるだろうか。希望とともに、ある種のせつなさがにじむところも、みずから「マイノリティー」としてアメリカ社会で暮らし、ボクサーとしての挫折を経て「セカンド・チャンス」を追い求めた著者の持ち味だと思う。