ささやかなシンクロニシテシティー(意味ある偶然)1.

ウチスタ(お家がスタジアム、部屋観戦でドキドキする)

2年生が頑張った翌日、2試合だけ行われた27日木曜日。

ファイターズ対ライオンズは、ダルワクの一騎打ち。衆目を集めた、最高のライバルにして親友の対戦は、予想通りの、そして期待通りの、一歩も譲らぬ投げ合いとなりました。
かたや、球が荒れ気味でやや苦労しながらも、球威で打者をねじ伏せていくダルビッシュ
こなた、開幕戦のもたつきはどこへやら。すっかり取り戻したコントロールと球のキレで、つけ入る隙さえ見せぬワク。

L 000 000 000 0
F 000 000 000 X1

結果は、延長回まで投げたワクが不運なサヨナラ負け。
それでも、二人がともに「楽しかった」と言った試合は、並んだ0が美しいスコアボードが示す通り*1の、白熱の投手戦でした。

バファローズイーグルスは、開幕戦に好投して勝利投手になった金子と、勝ちはつかなかったものの、やはり好投した岩隈が先発投手。
金子は初回に1点失いながら粘りの投球で頑張ったけれど、7回ソロホームランを打たれて万事休す。
いやいや、相手が悪かった。
対する岩隈が、なんと2安打無四球。4年ぶりの完封勝利
パーフェクトな投球でした。

そして…。

彼ら4人の活躍を見ていた私は、「…あ、…」と、思ったのです。

あ…。彼ら4人とも<あの年>に結びついた選手だ…。

<あの年>。2004年。

日本のプロ野球の選手とファンにとって、特にパの選手とファンにとって、とても重大で重要な事件が起こった、忘れられない年。

この年、降ってわいた球界再編問題は、チームの合併話から1リーグ制への移行話まで球団側が持ち出して、泥沼状態。
反対するファンや選手会と経営サイドとの対立が深まり、とうとう選手のストライキを招いた後、奇々怪々ないきさつの揚げ句、2リーグ制とチーム数についてはなんとか元のさやにおさまりました。

でも、近鉄バファローズだけは元に戻れませんでした。
伝説の10.19。代打満塁逆転サヨナラホームランでの優勝。数々の名場面を残してきた古豪のチームは、オリックス・ブルーウェーブから球団名を変えただけのオリックス・バファローズと、全く新しい球団である楽天イーグルスに分散吸収され、消滅したのです。

岩隈は、近鉄バファローズ最後のエースでした。

2004年の彼は、チームが消滅話で揺れる中で最高のピッチングを繰り広げ、最多勝と最優秀投手のタイトルを獲得します。

そしてシーズン終了後、オリックス・バファローズからの慰留を拒否。そのゴタゴタでマスコミに叩かれながらイーグルスへと渡ったのです。

岩隈は、この年の騒動で深く傷ついた選手のひとりでした。
イーグルスに移ったものの、騒動の後遺症やケガなどが重なり、成績は不本意な状態が続いていました。

<4年ぶり>だった27日の完封は、つまり、近鉄バファローズ最後の年以来の完封だったということです。

<4年ぶり>という言葉に、2004年の彼を思い出しました。
近鉄バファローズ最後の試合のあと、帽子を握りしめながら、涙でファンに手を振っていた彼を思い出しました。

<4年ぶり>という言葉に、彼が本当に立ち直るまでにかかった時間を思い、それから、この完封の意味の重さをもう一度かみしめました。

<続く>

*1:って、ここに写したスコアは間抜けに間延びしちゃってますが…行並べしようとするとなぜか1行分あいちゃうんです。なぜだ?