VOL.1『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』

石井 いやー、10か月も更新できませんでした。すみません。間があきすぎてしまったので、いったん仕切りなおして、これからは、同じ本について話していけたらいいなあと思います。

というわけで「新・ねにもつ2人」(笑)。第1回は、辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)の巻でございます。※以下、ネタバラシもあり。未読の方はご注意ください。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)

石井 私は仕事でこの本を読みました。飲み会で北村さんにすすめたら、わりとすぐ読んでくれましたよね? 読みたいと思うポイントはなんだったんでしょう。


北村 「『森に眠る魚』の独身女子版という感じ」「舞台は山梨」って教えてくれたよね。こりゃもう…と(笑)。私、20代の数年間、山梨でひとり暮らしをしていたんだけど、あの頃、同期の女子に「山梨の女子事情」について、こんなことを聞いたことがあるんだよね。

「山梨で、娘を持っている母親の多くは県内の女子短大に娘を進ませたいと思っている。そして、卒業しても地元にとどまっていてもらいたいので、車を買ってあげるのと引き換えに東京流出を阻止するんだよ」って。山梨では車がないとなかなか生活できないからね。東京に行かないご褒美なんだね。


石井 車を買ってあげるのと引き換えに地元から出ることを阻止するっていうのは、うちのほう(九州)でもありました! 作中にも出てきた「娘代」ってやつですね。

第一章の語り手みずほは、大学卒業してライターになるんだけど、それだけでは食べていけなくて、怪我をした母に望まれたのを機に実家に帰る。〈山梨で過ごした間、私はライターの仕事以外は何もしなかった。徹夜で仕事した後、昼までダラダラ眠り、三日に一度は飲み会や合コンにも出かける。実家に住んでいる限り金に不自由したことはなく〉当時の友達に〈私はそれを「娘代」と話した。つまりはバイト代のようなもの。不安がる母のそばにただ「いる」ことを代償とした当然の対価だと、笑って語った。〉p51


北村 でも、みずほはそれをイヤだと思っていた……のかなあ?<私は結局、母の怪我がすっかりよくなってからもここにとどまり続け、啓太(夫)という新しい枠ができるのを待って東京に戻った。自分を囲ってくれる枠、所属する場所がなければ、私はいつだって不安で動けないのだ>p49


石井 イヤというのとは違うでしょうけど、「娘代」受け取っている自分ってどうよ? というのはある。ライターの仕事がすぐ軌道に乗っていれば、山梨に帰らなかっただろうし。


北村 「娘代」をもらって実家に居るのが息苦しい、とか、そういうんじゃないんだよね。そこがリアルだなと。また自分の話になっちゃうけど、山梨にいた当時、私のように親元を離れてわざわざひとり暮らししてまで仕事をする子は、地元女子からするとヤバンというか(笑)そんな感じだったと思う。


石井 ヤバンかぁ(笑)。自分で狩りに行くから?

みずほは母殺しの容疑者として追われている幼なじみ、チエミの行方を捜している。手がかりを求めて、まずチエミの部活仲間に会いに行きますよね。それで結婚式場の値段の話になるんだけど、その子が〈うちは黒だったよ〉というのを聞いて、みずほは〈親の負担額を指すのだということに、やや間を置いてから気づいた。〉p15

ここもリアル。結婚式のお金もきっと「娘代」なんだよなぁ。それを払ってもらうのが当然と思っている子と、自分で払って実家を出て行ったみずほの間にはやはり差がある。「差」というと、上下があるみたいですね。「違い」かな。


北村 ああ、でも「差」と「違い」っていうのは、この小説のひとつのポイントかもね。下の人は上の人に対して「差」を感じていて、上の人は下の人に対して「違い」を感じているという。で、上か下かは、本人たちがちゃんと自覚している。みずほは上。

フリーライターという都会的な職業、容姿。みずほは自他共に認める「上」の人。“自”も認めてるってところが肝だね。そしてもうひとり、明らかな「上」的人物が出てくる。チエミの後輩の及川亜理紗。

たとえば、かつて合コンの仕切り役で、今は結婚して子供もいる政美という登場人物は、自分のことを「勝ち組の私」と自嘲的に言ったりするんだけど、それは自分が「上」じゃないことが分かってるからだったりするわけで。そんな秘かな上下関係の中でのチエミの「見られ方」が、なんとも切ないんだよね。


石井 上から目線だから「差」を「違い」といいかえたりするのか。何か痛いところを突かれた感じが……。確かに本人たちは自覚している。で、「上」の人間の「そうはいっても人それぞれだし」「わたしもそういう部分はあるよ」というおためごかしを許さない。だから政美はみずほに〈自分もチエちゃんと同じだって、ちょっとでも思って欲しくない〉というんですよね。


北村 そうそう。「下」だと自覚している人間にとって「降りてこられる」「憐れまれる」ことほど不快なことはないからね。そういうやりとりのいちいちが、登場人物同士のお互いの中での位置づけを鮮明にし、チエミというキャラクターを次第に浮き上がらせてゆく。


石井 そのへん、本当にうまいなあ。誰でもいると思うんですよ、自分にとってのチエミが。で、及川亜理紗みたいに自分を反射して見て〈私、あなたじゃなくて本当によかった〉と安堵してる。

「誰でも」という言い方はずるいかな。少なくとも私はいます。『グロテスク』や『森に眠る魚』みたいな女子の格差を描いた小説を読むとき、昏い悦びを感じるのはなぜなんだろうって、前から思ってたんですけど、こういうことかと。


北村 私にもいるな。女友達に優しい言葉をかけたとき、自分の中に軽蔑と優越があるからそう言えたんだなと思うときがある。そういう、“思い当たる節”をたくさん発見しちゃう小説なんだよね。


石井 発見し、なおかつ、なんでそうなっちゃうの、そこからは逃れられないの、というところを突き詰めて考えているのが魅力かなあと思います。


北村 ちょっと話はそれちゃうけど、みずほがフリーライターとして一流というわけではないってところもうまいなぁと思うの。その世界の中で自分は「上」ではないってことをみずほは分かってるわけじゃない?だけど周囲は肩書きの放つ華やかさを鵜呑みにするというか、してくれる。

ライターなんてカッコイイ、と言われると、居心地の悪さと同時に安堵感も覚えるという気持ち、「ラジオ」のアナウンサーとして、すごくよく分かる(笑)


石井 自分もライターなので、身につまされるところがたくさんありました。みずほの「自爆テロ」結婚も、分かるなあと思って読んでしまった。どんな仕事に就こうが関係なく、親の娘に対する評価は結婚で決まるところがあるから。


北村 娘って、人生のどこかで親に復讐……という言葉は強すぎるけれど……めいたことをしたくなるものかも。反発よりもうちょっと高いレベルのことを。単に恋人選ぶときでもね。言ってみれば「これで満足?」みたいな。


石井 冗談っぽくですけど、似たような言葉をいったことがあります(笑)。単純な愛憎関係ではないから難しい。第一章では、みずほが自分なりの結論を出してますよね。私は結論(あくまでも今の時点での、ですが)を出す、というところに好感を持ちました。


北村 みずほの結論は決意とも言えるよね。私はこの「母との関係についての決意表明」みたいなところが、とても好き。〈私と仲が悪いという自覚すら希薄な母が、不器用に、微笑むことすらできなくて困って立っているのが、ようやく、とうとう見えなくなる〉ってところは、じーんときたな。


石井 私もそこは付箋つけましたよ。〈ようやく、とうとう〉とか、このへんの言い回しもうまい! あと、チエミの視点で書かれた第二章があってよかったなと。


北村 第二章、翠ちゃんがねー!彼女のキャラが、思いがけない色合いを物語に与えてて、そこまでの息詰まる、息苦しいような空気が緩む。翠ちゃんがただのなごみ系じゃないのもいいよね。


石井 翠ちゃんは『キテレツ大百科』のコロ助みたいな口調でしゃべる女子大生。「マーダーケースブック」をコンプリートしているところがツボでした(笑)。読書メーターのコメントを読んで初めて知ったんですけど、タイトルの由来になっている日付、8月7日ってのび太の誕生日なんですね。チエミがのび太で、みずほが出木杉くんで、翠ちゃんがコロ助かな、と思った。 辻村さんは「ドラえもん」フリークだし。


北村 へえ、そうなんだー。出木杉くん、なるほど。

ところで、第二章の終わりのほうで、チエミが、みずほに「どうして大地(みずほが紹介したチエミの元彼の名前)じゃなきゃダメなの。他にもいい人がいる(のに)」と問われたときのことを回想しているシーンがあるけど、ここでのチエミの内心の回答は、ものすごく私に似ている!と思ってしまったの。

<私には、他にも、いい人がいる><だけど、そのいい人は、私を選ぶような、そういう人だと、私にはわかってた>というところ。つまり、自分を選ぶような人じゃだめなんだよね。あああ、分かりすぎるくらい分かるー。


石井 もしチエミが実在して、北村さんにそういわれたらびっくりすると思いますけど(笑)。なぜそんなに自己評価が低いのか、謎すぎる。


北村 自己評価が低いんじゃなく、その反対かもしれない。自分の中で自分はもっと「いいもの」のはずだから、「ありのままの自分」を好きだと言ってくれるような人はだめなんだよ。本当はプライドが高いんだよね。ただ、チエミは、見栄の張り方が分かりやす過ぎて、自分を護り切れないところがかわいそう。かわいそう、なんて人のこと言えないけども。


石井 私は逆かも。自分を選んでくれるような人がいたら、有り難いなあと思う。ただ、それも、よく考えたら自己評価が低いからじゃない気がする。「ありのままの自分」を好きになってくれ! ということでしょうね。誰に選ばれるか問題は根が深いなあ。

あと私はチエミの存在感のなさが、自分に似ているなあと思いました。たいていのグループ内で地味でおとなしい子という位置。「いたっけ?」って何回いわれたことか(笑)。だから「何もないと思われるのが嫌」という気持ちはすごくわかる。


北村 「何もないと思われるのが嫌」という気持ちは絶対あるよね。20代30代でそこから解放されている女子はいないんじゃない? 何もない=誰にも選ばれてない証拠、になっちゃうから……負け犬談義と似てるけど。不倫だって一応、男に選ばれている事実になる、ことを果歩というキャラクターで表しているのかもしれないとも思う。あぁ、「男に選ばれ(てい)る」ことって、否定しようがなく女子の格差の基準。


石井 そういう格差はあるし、なくならないんだけど、どこかでフェアになってほしいという思いが、この小説の根底にはある気がします。うまくいえないけど。例えば、みずほが亜理紗をやりこめたり、翠ちゃんと出会うことで、チエミがのび太からキテレツくんになるみたいな。格差はあります、嫌ですね、で終わってない感じがする。


北村 のび太からキテレツくん! いい見立てだねー。チエミは翠ちゃんに、自分のいろんな部分を開放(解放)してもらえたのかもしれない。チエミが翠ちゃんに髪を切ってもらうシーンに、それがあらわれているような。


石井 藤子不二雄の主人公のなかでも、キテレツくんって好きなんですよ。道具を与えられるんじゃなくて、自分でつくるじゃないですか。頓珍漢な「読み」かもしれませんけど、そういう意味が込められてたらいいなあ。


北村 格差はあるけど、「上」の人が全面的に「上」なわけじゃない。チエミの刺繍のように、「上」の人でも絶対に敵わないものがあるってことを、みずほは知ってる。みずほが亜理紗に「驕りだ」と言う場面、みずほはただ友達をかばってるんじゃなくて、チエミのこと、チエミの家のことを分かったような気になってるなんてあんた恥ずかしいよ、とも言っているんだよね。そこが格好いい。


石井 そうそう。あと最後のチエミのセリフは読み方が分かれそうですよね。これから辛いことは間違いないんだけど、自分で歩きだせるのかどうか。また、この小説全体に、救いがあるのかどうか。タイトルである『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』が示すものは、愛情とも、呪縛ともとれるし。私は「救いはある」と思いたいんですけどね。翠ちゃんに必要とされたし、みずほもいるから。


北村 れっきとした救いがあると私は思うよ。チエミには深い深い事情を分かってくれるみずほという人がいて、いちばん辛かったときに一緒にいてくれた翠ちゃんもいる。みずほには夫、がいる……のか、な? 私は、人前で泣くことのできるチエミより、受け止めるみずほの方が、もしかしたら大変かもと思う。いろんなものを吸収して溜め込んで、みずほの体内は膨らんでいるはずだから。完璧にすっきりさせない終わり方は、こうやって「登場人物はこのあと、どうなるかな、どうするかな」と具体的に考えさせるからいいよね。