5月27日(火)日記再開の巻

とうとう前の更新から2ヶ月以上も日記をあけてしまった……。
もうこのままフェードアウトしていきたいと、かなり弱気になっていたところ、書評王の島の仲間たちから「もっと気楽にメモ程度のことをアップすればいいんだよー」というアドバイスをもらったので、再開を決意。でもねー、なんてんですの? ライターならではの職業病ってんですの? ついつい意味のあるものを書かなきゃと思っちゃうんです。
でも、考えてみたらわたしなんてほとんど毎日家で原稿書いてるか、本読んでるか、テレビ観てるかしてるだけなので、意味のあることやオチのある出来事やためになることなんて起こりようもないわけで。そんな次第なので、今後は“ヤマなし、オチなし、イミなし”のヤオイ日記と化していくかと存じますが、許してやって下さい。
とりあえず、最近起こったことの回想から。
25日(日)は4冊目の『文学賞メッタ斬り!』が出たので青山ブックセンターで販促トークイベントをしてきました。今回のゲストは「早稲田文学」の実質上の編集長であり、批評ユニット前田塁として先般『小説の設計図』(青土社)を上梓した市川真人さん。
市川さんは過日新宿ジュンク堂宇野常寛さんと行ったトークショーにおいても「来週はメッタ斬り!のイベントに呼ばれてるんで、ちゃんとケンカは売ってこようと思いますよ」と発言していたので、わたしとしてはどんな風に批判してもらえるんだろうとワクワクしていたのですが、実際に会った市川さんは大変なジェントルマンで、期待していたようなメッタ斬り!をメッタ斬り!話にはついになりませんでしたの。残念。斬ってほしかったのになー。引導渡されたかったのになー。
市川さんは書評と批評を別物とは考えてなくて、だから書評家もたまには長い文章を書くことで「ああ、こいつはちゃんと小説が理解できて書評を書いてるんだな」と周囲にアピールし、そのことでスキルアップも達成していけばいいのにと言ってくれるのですが、書評と批評はまったくの別物で、それぞれ書く時に使う筋肉が違うと思っているわたしは「なんで長い文章を書いて、自分にも批評ができるんだということを証明しなくちゃいけないのかわからない。書評は批評と違って、原稿の分量が少ない・オチを明かしてはいけない・取り上げるのが新刊なので読んでから締切まで間がないといった制約の多い文芸ジャンルだけど、それゆえに発揮できる芸というものもある。自分は書評を好きで書いてるんであって、批評は読むのは好きだけど書く気はない」といったような反論をいたしましたの。
実はわたくし、光文社のPR誌「本が好き!」で「ガター&スタンプ屋ですが、それがなにか?」という書評術にまつわる連載を始めるのですが、そこでもそんな話を書いていきたいと思っているんです。
ちなみに相方の大森望は「批評家もさ、小説家から小説のことは小説家にしかわからない。悔しかったら批評家も小説を書いてみればいいなんて理不尽なことを言われて不快に思ってるわけでしょ。市川さんの書評家も3万字の原稿を書いてみろっていうのもそれと同じ物言いなんじゃないの」と反応。珍しく気が合ったことではありました。
翌26日(月)はマガジンハウスの会議室で「BOAO」の対談仕事。テーマは「感動できる本」で、お相手は麻野一哉さん・飯田和敏さんとトリオを組んでいろんな文学作品について語り合う“チーム男子”元祖本ともいえる『日本文学ふいんき語り』(双葉社)、『恋愛文学ふいんき語り』(ポプラ社)を出している米光一成さん。
お互いのおすすめ本や感動のツボなんかについて話し合ったんですけど、わたしはこの米光さんと話をするのが大好きで、なんていうか、話が発展していきやすいっていうのかな、思考停止に絶対陥らないっていうのかな、必ずしも意見は合致してなくて、むしろ違うことのほうが多いのに、違うことを否定しあうんじゃなく互いの差異を面白がれる関係っていうのかな。とにかく刺激を受けることが多いんですの。というわけで、今回の対談も、わたしにとっては収穫の多い内容になりました。
終わった後は、楽しみな打ち上げ。「BOAO」副編集長にして長年のバカ友であるA谷さん、この企画を担当してくれたT村さん、マガジンハウス広告部のK川さん、米光さんのパートナーにしてオデの盟友のアライユキコさんとで、1Fにバーニーズが入ってる交詢社ビル内の「たらふくまんま」で美味しい魚と焼酎に舌鼓を打ちながら、ずーっとバカ話をしておった次第です。楽しかったー!
で、今日は神宮球場で「東京ヤクルト×北海道日本ハム」の試合を観戦予定。雨が降らないといいなあ。ちなみに日ハムの先発はダルビッシュ。生で見るのは初めてなので、まだ試合開始まで3時間半もあるのにワクワクしているわたくしなんであります。
あー、また長文になってしまった。明日からはメモ程度に。