3月5日(水)山野浩一さんと会食の巻

そんなわけで、この日の昼間に予定していたサイモン・マクバーニー脚色・演出、深津絵里主演の芝居『春琴抄』@世田谷パブリックシアターの観劇を泣く泣く断念。
ひたすら仕事用の読書に励み、C紙の原稿を1日早く書き上げ、送稿。夜は前々から約束していた会食のために銀座へ。1960年代にSF作家としてデビュー、傑作長篇『花と機械とゲシタルト』といったSFを書くかたわら『鉄腕アトム』や『怪獣ブースカ』などの脚本も書き、1969年には「季刊NW-SF」を創刊することで日本のニューウェイヴ運動の旗手として活躍し、サンリオSF文庫の知恵袋であったにもかかわらず、1970年代に入ってからは競馬評論家の看板も出し、今やそちらの仕事のほうで有名な山野浩一さんを、競馬アナウンサーの井口保子さん、漫画家の小道迷子さんと囲み、「結都」という店で懐石料理を食したのであった。
山野さんは最近、批評家の巽孝之さんらと共にSFの新団体を作ろうとしておられるようなのだが、過日日本で初めて開催されたSFの世界大会「ワールドコン」のパーティ会場だかで「キミも入りなさい」と大森望さんのことも誘ったようで、わたしが「でも、山野さんそれはちょっと難しいのでは? 巽さんは大森さんのことを嫌いみたいだし」と口をはさむと「いいんだよ。SFの世界なんてみぃーんなケンカしてるんだから。××と××はほにゃららで、△と△はほにゃららで……」とSF内幕話を延々続けたのだけれど、幸いなことに鳥頭のわたしはその詳細を例によってまったく覚えていないのであった。