3月6日(木)インタビューを受けるの巻

書評講座の全員分の原稿を読んで採点の後、15時、車で岡野宏文さんと連載している「先生、ここがわかりません」の対談のために「ダ・ヴィンチ」編集部へ。対談の前に『百年の誤読 海外篇』のインタビューをしてもらう。これはもともと「ダ・ヴィンチ」誌で連載させてもらっていた企画なので、編集部のご厚意で誌面で宣伝していただけることになったのだ。ありがたいことだ。
対談が終わったら、車でとっとと帰宅。わたしは電車という乗り物が嫌いで、こんな風に仕事が終わった後に飲む予定がない時はいつだって車で移動したいのだけれど、車にも欠点がひとつあって、それは運転中本が読めないことなのである。だから「文学賞の値うち」で切羽詰まっている今、本来なら電車に乗ってひたすら読書に励むべきなのだけれど、なんかもうほんとに疲れてしまって満員の電車に乗る気力がどうしても湧かないのであった。
莫言『転生夢現』(中央公論新社読了
この物語は、山東省高密県の西門屯(屯は「村」の意味)で地主をしていた西門鬧の「わしの物語は一九五○年一月一日から始まる」という宣言から始まる。その前年の10月に中華人民共和国を成立させた毛沢東は、地主から土地や財産を没収し、貧農や小作人に土地を分配する「土地改革」に着手。それまでずっと仕事一筋で倹約につとめ、村の橋直しや普請に気前よく金を出し、廟にご神像を寄進し、貧乏人には穀物喜捨するといった慈善を施してきたにもかかわらず、西門鬧は新政府によって悪徳地主と断罪され、銃殺刑に処されてしまったのだ。
「わしは労働と智慧で金持ちになったのでございます。(略)わしは無実じゃ。どうかわしを向こうへもどしてくだされ」と、地獄で閻魔大王に頼み込む西門鬧。どんな過酷な刑に処しても無実を叫び、諦めない西門鬧の執念に閻魔もついに折れ、ようやく転生を許します。ところが、生まれ変わった姿はロバで――。
ロバ、牛、豚、犬、猿、大頭の子供と生まれ変わる西門鬧の目を通し描かれていく、毛沢東時代から現在にかけての中国社会の変化は劇的だ。北京五輪、農薬混入餃子と、最近なにかと話題の中国。莫言の自由闊達な語りに乗せられ、西門鬧の転生の旅を共にするうち、近くて遠い、ある意味謎が多い大国の精神性に触れられる。読んで無類に面白いこの物語には、そんな効力もあるのだと思う。

転生夢現〈上〉

転生夢現〈上〉