母校愛憎 その5 前髪は眉毛の2センチ上
今でこそ、後ろ髪が少々ハネたままでも、湿気で髪が膨張していても、平気で外出している私だが、10代の頃はちょっとしたヘアスタイルの不具合で、その日、1日を陰鬱に過ごしていたように思う。今でも、街で見かける女子高生が茶髪に入念な〝巻き〟を入れていたり、電車の車窓に映る自分を見ながら、自慢の無造作ヘアを技巧的に調整する男子高校生を見るにつけ、制服という縛りのある学生にとって、やはり今でも髪型は数少ない自己表現の場なのだと思う。頭髪isアイデンティティだ。
さて、この連載で4回に渡ってその魔界ぶりを綴ってきた我が母校(女子校)では、当然のことながら外見での自己表現は罪悪、そして極刑に処されるものとされていた。幼稚園生から高校生まで全員が同じデザインの制服と制帽(ベレー帽)を着用しているのだが、その着こなしには事細かな決まりごとがあった。特に、通学時にベレー帽子をかぶらせることに、教師(修道女)はことのほか固執し、抜き打ちで通学路にたたずんでチェックしたり、最寄り駅までの通学路や、沿線に住む卒業生による密告制度があったりで、ベレー帽をかぶらない生徒を定期的に洗い出し、糾弾&念書の刑(←前回までを参照)に処していた。
服装だけでなく、持ち物にも自由は許されなかった。ランドセルや補助カバンはもちろん、小学校低学年では筆箱、ノート、下敷きまでが校章入りのお揃いしか使用を許されず、クラス全員が同じ文房具を使っていた。小学4年でやっとシャープペンシルと、自前の筆箱この使用が解禁となるが、'80年代の日本とは思えない、彩りも意匠も乏しい共産圏のような暮らしだった。だから、はじめて自前の筆箱(「風の子さっちゃん」という、ややマイナーなサンリオキャラの描かれたものだったと記憶)を持って教室行ったときの嬉しさと誇らしさは今でも忘れられない。今、この歳になっても、バッグの中のどうでもいいような小物のデザインに、必要以上にこだわってしまうのは、この頃剥奪された自由を取り戻そうとしているのだろう。
さらに、小学校高学年ともなれば、洒落っ気も出てきて、親や先生に見つからないように、こっそり爪を磨いてみたり、髪型にもこだわりが出てきたりする。当時の女子の憧れの髪形と言えば当然アレである。サイドの髪にレイヤーを入れ、後ろへふんわり流し、前髪を目の上ギリギリまで下ろした〝聖子ちゃんカット〟だ。小学生ゆえにたいしたテクはなく、今思えば〝もどき〟にすらなっていなかったと思うが、私も例に漏れずサイドの髪を軽く後ろへ流し、上目使いの表情を真似しては、鏡の前でひとり悦に入っていた。
しかし、こんな浮ついた生徒の存在を、校内での流行風俗の撲滅に心血を注いでいる教師たちが見逃すはずはなかった。ある日の終礼時、学年全員(2クラス100名)がひとつの教室に集められた。この手の学年集会が開かれる場合、大半がつるし上げの会だ。〝廊下で菓子の包み紙が1枚見つかった〟だの〝保護者の同伴なく新宿のデパートに行った人がいる〟だのと言った些細なことで、犯人が名乗りを上げるまで、教師陣の追及が続く。だから、朝礼時に教師から「今日は放課後に学年集会があります」という告知があると、何かとやましいところのある生徒(含む私)は、1日中生きた心地がしなかった。この日の集会もやはり、その部類に属していた。
教師陣が教室にやってきた。年長の教師が口を開く。「最近、前髪が長い人がいます。前から言っているように、長い前髪は勉強の邪魔になります。また、おじぎの後に頭を振ったり、前髪を直したりするのは大変美しくありません。前髪は、ベレー帽をかぶったときに、眉毛の2センチ上にしなくてはなりません……大野さん、ちょっと前に来て」。(ほら、来た……)と思った。教師は私を黒板の前に立たせると、手のひらで私の脳天をグイッと押さえた。「このように、前髪を伸ばしていると、ベレー帽をかぶったとき、目まで隠れてしまいます」。私は100人の前で、ダメな見本として晒された。さらに、教師は教室をぐるりと見回すと、5〜6名ほどの名前を順々に呼び上げ、「名前を呼ばれた人たちは、週明けまでに前髪を切ってくるように」と、言い渡すと、前髪糾弾会はお開きとなった。
家に帰りこの日の出来事を母に告げると「あら、そう」と、思いのほか冷静に対処され、そのことで私の心は少し緩んだ。断髪式はその日の夕食の後、母により執り行なわれた。風呂の洗い場にビニール風呂敷を敷き、その上に風呂用のスツールを置き私が腰掛ける。母が裁縫用のハサミを持って私に対峙する。前髪をクシでおさえて左のこめかみからハサミを入れる。鉄のひんやりとした感触が皮膚に伝わり、ザリッ、ザリッという断髪の音が頭蓋骨に響く。風呂敷の上にぱらぱらと短い毛髪が散らばる。「眉毛の2センチ上って……こんなかしら?」母が私からハサミを離す。私は、恐る恐る風呂場にある鏡をのぞいた。(あ゛っ……)言葉にならなかった。私は眉上2センチの破壊力をナメていたのかもしれない。
鏡に映る自分の顔を見て(何かに似ている……)と、思った。長さが足りず、額のカーブに添えなくなった前髪が、一直線の切り口のままピンと跳ね上がり、思春期に入りかけた少女の中途半端な面立ちに滑稽さを添えていた。太い眉がさらに強調され、その印象はおっさんに寄っている。これは何だ? そうだ! 図鑑に出てくるネアンデルタール人の肖像だ。
ただでさえ、日々自分の容姿と葛藤している思春期の少女にとって、自称・聖子もどきからネアンデルタール人への転落がどれ程の辱めであるか。私のアイデンティティは壊滅的ダメージを受けた。とにかく週明けの登校が憂鬱だった。切り落とした前髪を何かの方法で元に戻してくっつけることができないか、もしくは、速攻で元通りの長さに伸ばす髪の促成栽培はできないものかと本気で考えた。こっそり近所の本屋に出かけ、髪が早く伸びる方法を調べた。〝通常、人の頭髪は1か月で1センチ伸びる〟という記述に希望の光は消えた。
この頃の写真が数枚残っている。もちろん、当時から今まで誰にも見せてはいない。学校行事や校外活動で撮られたそのスナップには、前髪が不自然に短く、その上にくたびれたベレー帽をちょこんとのせた、私と級友たちが写っている。その顔は間違いなく、自分至上最高のブサイクさだと断言できる。それにしても、生徒にそれだけの思いをさせてまで、実現させたかった前髪とベレー帽への執着。そんな教師たちのアイデンティティのあり方が、卒業して数十年経った今も私には理解できない。